視力回復トレーニングの効果

コラムの第4回。

またまた視力の話である。視力しか話題がないのか、と問われると「はい」か「イエス」か「天気の話もできます」としか答えられない。今日はいい天気ですねのノリで「私目が悪くてね」と会話を広げようとするのだが、相手としても天気のボールが来るシチュエーションで視力の話をぶちこまれるのは対処に困るのだろう。「そうなんですか!私もです!」などと乗っかってくれる人はおらず、よくて「そ、そうなんだ…」わるくて無視である(視力だけに)。会話の見通しが悪いのは、どうしたらいいものか。

それはさておき、今回は視力回復トレーニングに取り組んだ話である。

ヤングな方は知らないかもしれないが、その昔、立体視という視力回復トレーニングが流行った。立体視とは、周期的な模様が並んだ絵を手に待って、目の焦点をずらすようにして眺めると、3Dアートが浮かび上がる現象のことである。右手の人差し指の先と、左手の人差し指を先を合わせて、目の焦点をずらすと、指のソーセージができるアレだ。

立体視は「目の遊び」だが、視力回復に効果があるとして、私が小学生のときにテレビで特集されるようになった。今ほどインターネットが発達していなかった時代なので、私は「テレビ=正しい」と簡単に脳内変換してしまい、立体視を「視力回復の救世主」だと絶対視した。私だけでなく、両親も情報に踊らされていたようで、私はサンタさんからハリーポッターの立体視ブックをもらうことになった

ハリーポッターを3D化し続けた結果、視力はまるで回復しなかったが、いつでもどこでも瞬時に立体視できる特技を身につけることに成功した。授業中、よく人差し指をソーセージにして遊んでいたし、黒板の上に貼ってある掲示物を使って、立体視できないかと常に目の焦点をずらしていた。

高校生になるころには、立体視の達人になっていた。念能力者を極めた人が無意識にオーラを身に纏えるのと同じように、私も意識せずに立体視が発動するようになった。これで24時間視力回復できると喜んでいたのだが(まだ信じていた)、あるとき立体視の弊害に気づいた。「目がどっかいってるよ」と人に指摘されるようになったのである。

私はアホすぎて気づかなかったのだが、目の焦点がずれるということは、左右の目が別々の方向をむいた変顔になるらしい。そんな顔で小・中・高の授業を受け続けていたとは恥ずかしい。通信簿に「目の焦点が合っていませんが大丈夫でしょうか」と書かれなかったのは奇跡に近い。一度身についた立体視の習慣をやめるのは苦痛であり、目の焦点をずらさなくなるまで、かなりの修行を要した。もし今、立体視にハマっている方がいれば、やり過ぎにはくれぐれもご注意いただきたい。

ちなみに、前回のコラムで、ゲームのせいで視力が低下したと書いたが、実はゲームをしながら同時に立体視も発動させていた。目を酷使しながら視力回復するというう裏技であり、視力低下がプラマイゼロになると信じていたのだがダメだった。広辞苑の編集をする機会があれば、ぜひ矛盾の説明欄に「視力回復トレーニングをしながらゲームボーイアドバンスで目を酷使すること」を書き加えたい。

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