トイレに本棚

コラムの第12回。

今回のテーマは「本棚」である。

「小さいころから本に囲まれて暮らしていました」は人生で言ってみたいセリフ第5位にランクインしていいくらいカッコいい言葉である。実は私、このセリフを使うことができる。父のおかげだ。父は「さおだけ屋はなぜつぶれないのか」などのいわゆる新書を読むのを趣味にしており、月に何冊も本を購入する人であった。

こんなに買っていては家計がファイヤーするのではないか?と子供ながら心配になるくらい家には本があった。「図書館で借りれば?」と思うかもしれないが、おそらく父は凝視した文章が変色するウィルスに感染していた(父の本をひらくと黄色い線だらけなので客観的にそう判断した)。図書館で借りた本を黄色まみれにしてしまっては買い取りである。それなら最初から本を買ってしまえ、と父は考えたのだろう。

いつ見たか忘れたが「天才の実家」がテレビに映されていて、大きな本棚にびっしりと難しそうな本が並んでいたのを覚えている。「親の影響で小さい頃から本を読むようになりました」は定番の天才エピソードだ。私も大量の本に囲まれていたので、自然に読書習慣が身についていてもよかったはずだが、そんじょそこらの天才たちと違うのは、私が父の本を断固として読まないという点である。ある意味で鉄の意思を持っていたといえる。

父の本を真面目に読んだ記憶は数回しかない。父が買ってくる週刊朝日に載っていた「パパはなんだかわからない」というサラリーマン漫画だけは熱心に読んだが、文字だけの本を読もうと思わなかった。それだけ本が苦手だった。それでも数回は読んだのである(褒めてほしい)。なぜ数回読んだのかというと、トイレに本棚があったからだ。

わが家にはトイレに本棚があった。「トイレに本棚」を置くことは「トップ下に本田圭祐」を置くことくらい常識だと思っていたのだが、33年間生きてきて、いろんなお宅のトイレをお借りした経験から察するに、トイレに本棚を置くのはマイナーなインテリア志向であるらしい。風水的によくないのかもしれない。

わが実家のトイレに本棚があったのは、オシャレが行き過ぎた結果ではなく、本の置き場に困ったからであろう。リビングも寝室もパンパンだったので、もはやトイレに置くしかなかったのだ。

とはいえ、父を責めることはできない。本棚の半分くらいは父の本だったが、残り半分は私のフェイバリット漫画(地獄先生ぬ〜べ〜とアイシールド21)であった。トイレの本棚はむしろ私の犯行であった。トイレの時間を惜しむくらい漫画を読んでいた。漫画を読む時間を勉強時間に当てていたら、今ごろイグノーベル賞あたりは狙えたかもしれない。

漫画中毒だった私だが、同じ話を1億回読んだあたりから、手持ちの漫画に飽きるようになってしまった。そうすると、トイレの時間が暇になり、トイレ本棚にならぶ父の本のタイトルを眺めて過ごすことが増えた。ごく稀に手にとることもあった。

「バカの壁」を読んだ気がする。私ほどの本嫌いでも、トイレで毎日ご対面すると、少しは本に興味を持つようになるらしい。私は頭が悪いので、読んでも何も得られなかったが、自分の人生にバカの壁が高くそびえ立っていることだけは分かった。

そんな思い出のあるトイレの本棚であるが、私が実家を離れて15年経つ今も健在である。かつて並んだ漫画は、時の試練に耐えられず消滅し、今は父の蔵書が100%を占めている。ラインナップも昔と変わった。

バカの壁、超バカの壁、死の壁、自分の壁、ヒトの壁、AIの壁。外に出たら巨人に喰われるのか?と思うくらいトイレが壁に守られるようになった。他には、仏像巡礼、地形、昭和史、鉄道などの渋い本がならんでおり、タモリと同居してたっけ?と錯覚しそうになる。

大人になり、私もエッセイだけは読める体質になったが、やはり今も父の本を読もうとは思わない(趣味が違いすぎる)。だが、もし「パパはなんだか分からない」が並んでいたら、懐かしさに涙しながら読むだろう。

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