読書感想2. 「困難な成熟」内田樹

読書感想の第2回。

本の概要

・タイトル:困難な成熟
・著者:内田樹(うちだ たつる)
・出版社:夜間飛行
・出版年:2015年
・頁数:416ページ

要約:
思想家・内田樹さんによる「大人になること」のお話。人間的な成熟のお話。仕事が出来るとか、タバコをカッコよく吸えるとか、そういう大人ではなく、精神的な大人とは何かについて考察されている。一言でいえば「自分はこういう幼さ、器の小ささを持っているなぁ」と第三者的に冷静に見られることを大人と言うらしい。
この本を読んだ理由

私には2歳年上の兄がいる。あまり連絡は取り合わないが兄弟仲は良い。兄は内田樹さんのファンである。私は兄が好きなので、兄が執心する人がどんな人かを知りたくなり、本書を読んでみた

以下、私の心に刺さった文章について、感想を漏らしていく。

大人=手を挙げて青信号を渡る人

責任というのは、誰にもとることのできないものです。にもかかわらず、責任というのは、人に押しつけられるものではありません。自分で引き受けるものです。というのは「責任を引き受けます」と宣言する人間が多ければ多いほど、「誰かが責任を引き受けなければならないようなこと」の出現確率は逓減してゆくからです。

内田樹著「困難な成熟」夜間飛行(2015年).

この文章を読んだ瞬間「あっ。内田さんって、マジで頭いいんだな」と分かった。ものごとを多面的に捉える能力が非常に高い。

大人になるとは何か。たとえば「大人になる=責任をとれる人になる」という考えが市民権を得ている。私のような雑魚は、それに対して疑問を持ったことなどなかったが、内田さん曰く、責任は本質的に取れないものらしい。ちょっと何言っているか分からなくて、内田さんがサンドイッチマンに見えているかもしれない。解説しよう。

たとえば、間違って人を殺してしまったら、責任はとれるだろうか。刑務所に入ることになるだろう。だが、それは責任を取ったとは言えない。本当に責任を取るのだとすると、殺してしまった人を生き返らせる他ない。死者蘇生カードの入手、世界樹の葉の栽培、ザオラルの習得、反魂の術、最悪はメガザルの行使・・・パッと考えただけでも「人を生き返らせるのは無理」だと分かる。よって、責任はとりようがない。

責任はとれない。だとしたら、大人になるって何だろう。

内田さんの真意を私が汲めているは分からないが、私は「大人になる=手を挙げて青信号を渡る人になる」ことが一つの回答なのではないかと理解した。

「青信号を渡る」という行為は正しい。青信号を渡ると、自分が事故に合う確率が低くなるからである。これは小学生でも知っていることだ。だが、その裏返しとして「加害者になるドライバーが減る」ということまで考えられているだろうか。

急いでいて、なおかつ車が来ていないとき、赤信号でも渡ってしまうことはあるだろう。ある意味、臨機応変に対応しているとも言えるが、それ見た子供が「あ、赤でも渡っていいんだ」と思うことまでは考慮できていない。判断力の低い子供が、同じように赤信号を渡ると事故になる。そしてドライバーという事故の加害者も発生する。これは社会全体でみると、大きな損失である。

車が来ていないのに赤信号で待つのはタルい。ましてや大人になって、小学生のように元気よく手を挙げながら青信号を渡るのは恥ずかしい。自分ひとりという単位でみれば「損をしている」ように感じるが、実は子供のよき模範となり、社会全体でみれば得をしている。このように、自分という一人称目線ではなく、社会という三人称目線を獲得することが「大人になる」ということなのではないかと思う。

さて、責任の話に戻る。

上述のとおり、責任はとれない。殺人を例に出したが、たとえば会社で「この損失の責任、お前にとれんのか?」と問われたときも同じである。責任なんて取りようがない。責任取れまっしぇーん、が個人単位でみれば得なのだが、社会全体でみると「はい!責任取ります!」と元気よくお返事するのが得なのだ。個人単位でみると責任を取らされて損だとしても、かっこうわるくても、社会でみたときに「いい行いをした」と思える行動がとれることが大人なのである。

頭が悪い=第三者目線がない

自分が選択したこと、自分がやっていること、自分が考えていることの適切さについて第三者的・価値中立的な視点から吟味できないことを僕たちは「頭が悪い」と言います。

内田樹著「困難な成熟」夜間飛行(2015年).

私は雑魚であり、自分のことを散々「頭が悪い」と称しているが、他人から「頭が悪い」と言われると大きなダメージを受ける。面倒くさいやつである。だからこそ、なるべく頭が悪いと言われないような行動をとりたいと思っている。

内田さんによると、第三者目線がない人は、頭が悪く見えるらしい。であるならば、ぜひ第三者目線があるかのように振る舞いたい。

第三者目線がないとは、例えばすでに述べた「青信号を渡らない人」である。言われてみると、赤信号を堂々と渡っているオッサンがいたら頭が悪そうだと思うかもしれない。気を付けよう。他にも第三者目線がない行動を洗い出してみよう。こんな行動は馬鹿にみられるかもしれないので危険だ。

・人の悪口に乗っかる
・自慢話を人に聞かせる
・400冊読んだことをブログに書く
・内田樹さんの難しい本を紹介して知性アピールをする
・恥じらいもなく雑魚な勉強法をブログに書く
・恥じらいもなく不器用な育児法をブログに書く

…すべてに当てはまってしまった。私はどうやら手遅れらしい。どうか馬鹿と呼んでいただきたい。

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