そういえば、空き地が無くなった

コラムの第19回。

今回のテーマは「空き地」である。

地球に爆誕してから18年間、とある地方に生息していた私は、大学進学のタイミングで東京に居付き、15年ほど住むようになった。

地方の人口流出に全力で貢献してきたわけだが、この夏にマサラタウンに戻り、田舎暮らしを再開することになった。久々の地元である。

地元を離れた15年という月日は、私が思ったより長かったようだ。地元の景色は、幼少の記憶とは、少し違っていた。

ずばり、空き地が無くなった。

実家のとなりにあった空き地が無くなった。土管こそないものの、ドラえもんに出てきても違和感のない、ザ・空き地だった。今や立派な家が建ってしまった。すごく寂しい。

小学校低学年の私の生息範囲は、家から半径200メートル圏内だった。めぼしい公園が近くに無かったため、ほとんどの時間を空き地で過ごした。空き地を本籍地にしたいくらいだった。

空き地で何をしていたかというと、ボール遊びである。

ひとりで、ひたすらボールをブロック塀にぶつけていた。ボールを壁に当てるだけで楽しかった。壁に当たったボールが、地面にワンバンして手元に戻ってくる「バン、ダムッ」というリズムが心地よくて、来る日も来る日もボールを投げ込んだ。

そのうちコントロールがつくようになり、ブロック1個1個をストラックアウトの的に見立てて、順番に当てていく遊びに発展した。

さらに、塀の上面の角にうまくぶつけると、ノーバンで手元に戻ってくることに気づいてからは、何回連続でノーバン壁当てを出来るか、追求する修験道に入った。

この遊びを何年も続けた。ひとりで狂ったようにボールを投げ続けた。

ネテロが感謝の正拳突きを習慣にしていると知ったとき、真っ先に思い出したのが、このボール投げだった。残念ながら音を置き去りにはできなかったが、それくらい投げ込んだ。

継続は力なりという言葉がある。

投げ込みを続けたおかげで、私の投力と肩力はパワプロでいうところのAに成長した。そして、甲子園を目指すでもなく、野球部にも入らない青春を送った結果、現在では「あのボール投げ、何の役にも立たなかったなぁ…」という思い出だけが残った。

私にとって、あの空き地は、何の役にも立たなかったが、ひたすら暇をつぶせる場所ということで、貴重な思い出になっている。無くなって、とても悲しい。

東京に住んで思ったが、都会は空き地がない。田舎に帰ったみたら、田舎にはあると思っていた空き地が無くなった。空き地の代わりに家やら駐車場やらソーラーパネルが並んでいる。

土地の利用効率が高まり、空き地というもったいない使い方をする人が、田舎にも少なくなってしまったのだ。そういうわけで、現代っ子は、空き地で遊ぶ体験がなかなか難しいと思う。

だからといって「いまの子は空き地で遊ばないからダメだ!」などと空き地マウントを取るつもりは毛頭ない。

もしみなさまの周りにそんなシケたことを言うジジイがいるなら「空き地で遊ぶと私のような雑魚になります」と自己紹介するので連れて来てほしい。

現代っ子には空き地がないかもしれないが、オンラインゲームがある。SNSがある。YouTubeがある。スマホがある。1人に1台パソコンがある。私の時代には無かった(あってもしょぼかった)ものばかりなので、そっちの方が羨ましい。

何が言いたかったかというと、空き地が無くなって寂しい気持ちになったが、よく考えると、自分はまったく空き地を有効利用していなかったので、もし空き地が無い生活をしていたとしても、別にダメージを受けなかっただろう、という話である。

異論は認める。

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