ファッションショーの思い出

コラムの第21回。

今回のテーマは「ファッション」である。

私にはファッションセンスがない。

よって、ゆりかごから墓石までダサいのであるが、「負ける技術」という本によると、ダサさには二つのタイプがあるらしい。

ダサさにも2通りある。ファッションに無頓着でダサいのとオシャレにしようとしてダサくなるパターンである。

前者はダサいだけで済むが、後者はダサいの上にイタいというボーナスポイントが加算され、さらにオシャレで個性的な服というのは総じて高いため、貧乏という三重苦状態になるのである。

カレー沢薫著「負ける技術」講談社文庫(2015年).

私の服装遍歴を振り返ると、無頓着→イタい→無頓着という三つの時期を経験しており、「イタいダサさ」を「無頓着なダサさ」で挟んだ、ダサいサンドイッチのようなファション人生を歩んできた。

はじめは、第一次無頓着ダサ期である。

私は中学生まで、祖母が近所のスーパーで買ってきた服を着ていた。典型的無頓着ダサボーイであった。

田舎のスーパーは、なぜ食料品と衣料品を一緒に販売するのだろうか。なぜ祖母はスーパーでお肉を買うついでに服まで買おうと思ったのだろうか。

当時の私は何の疑問も持たず、祖母にいただいたカクレンジャーのトレーナーを着用し、はなみずを垂らしながら、空き地で壁当てをしていた。

ファッションに関心を持ちはじめたのは中学1年生のときである。

きっかけは祭りだった。私にはイケメンの親友がおり、彼と地元の祭りに行くことになった。その祭りには同級生レディが付いてくるという、私のような無頓着ダサ勢には少々ハードルが高いイベントであった。

経緯を話そう。私にはレディAという、普通に話せる数少ない女友達がいた。そのレディAが私の親友(イケメン)に好意を抱いた。間を取り持ってほしいと頼まれたので、しぶしぶ私は伝書鳩となり、二人は晴れてカップルとなった。

ある日、レディAがイケメンと直接話すのは恥ずかしいという意味の分からないことを言い出した。さらに分からないことに「会話は厳しいが祭りには行きたい」という無茶な計画が立った。

会話が途切れたときの保険として二名が選出された。私とレディB(レディAのズッ友)である。

そして祭り当日、四人でダブルデートをすることになった。ダブルデートと命名したのはレディAであるが、実態はレディAカップルの後ろを、私とレディBが無言で付いていくという悲惨なストーキングであった。

なぜ無言だったのか。それは私が思春期まっさかりで、ひどいコミュ障を発症していたためである(今も完治していない)。1日を潰した被害者のレディBに対して、いまだに申し訳ない気持ちでいっぱいである。

大失敗に終わったダブルデート(笑)は、私の心に深い傷を作った。そして私は考えた。服装くらいはちゃんとしておくべきだったのではないだろうかと(レディと話せない問題はなぜか横に置いておかれた)。

そのころから自分で服を買うようになった。

本当にファッションセンスがない奴は、自分のことをダサいと思っておらず、むしろ「個性的でオシャレ」と思っている。ダサい服を買い、ダサく着こなすのだが自覚がないのだ。

ファッションに目覚めた当時の私は、まさにその状況に陥った。自分の欲求に素直に従い、ドクロの入ったTシャツや、トゲをあしらった攻撃力高そうなジャンパーを、たまらなく格好良く思っていた。

服を買う行為は楽しかった。近所のセレクトショップに通い、貯め続けたお年玉・春夏冬休みのおこづかいを惜しげも無く放出して、服を買った。

むしろ難しいはずだが、おしゃれなショップの中からダサい服を見つけだす才能が私にはあった。購入品の99%はダサい服だった。残り1%の格好いい服も、漏れなくダサく着こなした。

「負ける技術」にあるとおり、ダサくてイタくて貧乏の三重苦になった。が、いいこともあった。服屋の兄ちゃんと仲良くなれたのである。

普通の服好きな学生は、どのくらいの頻度で服屋にいくのだろうか。おそらく月に5日も行けば多いほうだと思う。私の最もタガが外れた時期(高1~高2)は、最高で月に30日ほど服屋に通った。しかも同じ店に。毎日顔を合わせれば、相手がカメムシでも愛着が湧くものだ。店員さんに仲良くしてもらえるようになった。

私はもはや店員よりも服屋に出没していた。かといって、すでに金欠なので、服を買うのは半年に1度まで減っていた。金がない分、服屋でひたすら試着していた。

個人経営のゆるい店だった。試着を嫌がられるどころか、店員さんも面白がってくれて「ざこべんくん、この服も着てみなよ」と試着祭りが行われた。店にある服は全部着た。あまりに店にいるので「こんど店で主催するファッションショーに出てみなよ」と誘われるようになった。

こうして史上初、ダサボーイがファッションショーに出ることになった。

その店で取り扱っている海外ブランドの宣伝を兼ねたファッションショーだった。常連のお客さんがモデルとなって出演するショーであり、大それたものではないのだが、基本的にショーに出るお客さんは服好きなので、ダサ男は私くらいのものだった。

結果から言うと、ファッションショーは楽しかった。店員さんが服を選んでくれたので、私のダサさが露呈することもなかった。が、ショーに出たことで「個性的なオシャレ」の方面に邁進するようになってしまった。

おかげでイタい系オシャレ期は長く続いた。大学4年生となり、ようやく第二次無頓着ダサ期が訪れた。変化は簡単に訪れた。「あなたのスーパーマンTシャツ、ダサいよ」この一撃だけで私のオシャレ心を折るのは十分だった。

いまではユニクロしか着なくなった。服への熱は完全に冷めてしまった。今も相変わらずダサいが、イタくなくなったのと、財布も傷まなくなったのだけは、成長できたと思っている。

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