読書感想10. 「弔辞」ビートたけし

読書感想の第10回。

「たけしさんって、ドラクエ3やん」と思った話です。

「弔辞」とは、消えゆく時代の記憶

このあいだ、ビートたけしさんの「弔辞」を読みました。2020年に出版されたこの本。講談社からの出版ということで「えっ!」と思いました。

というのも、たけしさんは1986年に講談社を襲撃して逮捕されています。いわゆるフライデー襲撃事件ですが、その講談社から本を出すなんてと、まず驚きました。

タイトルの「弔辞」は、普通はお葬式で、亡くなった方がどんな人生を歩んできたのかを振り返るスピーチを意味します。この本では、故人ではなく「変わりゆく時代」に対して、たけしさんが弔辞を読みます。

時代がどんどん移り変わって、いろんなものが消えていく。それは人の生き死にようなもの。だけど、忘れちゃいけないものがある。だから、たけしさんは「消えてゆく時代」に対して弔辞を書こうと思った(というか依頼された)。ついでに、自分に向けての弔辞も書いてみた、とのことです。

さて、内容は「お笑い論」です。おそらく、たけしさんが本気でお笑い論を書いたのって、これが初めてなんじゃないでしょうか。さすがテレビ絶頂時代の立役者と思わせる大局観ある内容で、たいへん面白いものでした。

たけしさんの笑いの原点

たとえば、こんな話がありました。

学生時代、たけしさんがサラリーマンやOLでぎゅうぎゅうの山手線に乗っていると、土木系のオヤジが乗ってきたそうです。

そしたら、誰かがオナラをして、周囲が凄く臭くなりました。誰も何も言わない。車内がシーンとしているその時に、突然そのオヤジが騒ぎ出しました。

「誰だっ、この野郎」
「屁なんかしやがって。てめえら、サラリーマンどもが気取りやがって」
「てめえ、してないフリしてんな。この野郎、お前か?それとも、お前か?」

と犯人探しを始めちゃうオヤジ。たけしさんは、その光景が、おかしくて、おかしくて。下向いて笑いをこらえるのに必死だったそうです。そこで思ったのが「これは漫才の原点だな」ということ。つまり、

お笑いの本質って、いきなり場違いな奴が来て本音を吐きまくることなんだな。たけしさんはそう感じたのだそうです。

「なるほど」と思いました。私が憶えている最古のたけしさんの記憶は、世界まる見えでスタジオにバズーカを撃ってる姿です。小学生のときに見て「なんだこのオヤジは」。なんでバズーカ撃ってるんだと思いました。

あれは「場違いなやつの本音」だったのです。

テレビの出演者が行儀よく座ってVTRを見る。映像に合わせてときどき「わっ!」と驚いた顔をしてワイプで抜かれる。それがテレビの常識ですが、それって本音じゃなくて「テレビはこうした方がいい」ってみんなが作り上げてる嘘でもあります。

そこにたけしさんが現れてバズーカを撃つ。「なんだてめぇら、VTRに驚いた演技なんかしやがって。本当に驚くってのはな、こういうことなんだよ!」って誰も言えない本音を、バズーカという形で吐きまくっていたということでした。

芸人にとって最強の武器は「常識」

たけしさんの笑いは、単にめちゃくちゃをやっているように見えて、実のところ「これって常識だよね」とみんなが心の内で作っている共通意識の真逆をうまく突いています。

それは裏を返すと、誰よりも常識を知っているということ。いい笑いをつくるには、常識を持つことが大事だとたけしさんは言います。

こんな話もあります。

たけしさんは「ドリフターズがいなければ、ひょうきん族はなかった」と言っています。ドリフターズ、特に志村けんさんのことを正当なコント師としてリスペクトしていて、あの時代の人々に「ドリフコント」というスタンダードな笑いの形を提供したと考えていました。

ドリフコントの特徴は「芝居」。入念に稽古をして、セリフを覚えてつくりあげるものです。ですから、オチもある意味で予定調和なものになってて、そのお芝居っぽさが笑いの常識だとみなす雰囲気が世間的にあったそうです。

一方、ひょうきん族は予定調和の真逆を行きました。なにがあるか分からないという面白さを目指したのです。「ドリフコントという常識が作られてたから、オイラがそれを壊して笑いにできた」とたけしさんは振り返ります。

それを証拠に、8時だよ全員集合が終わると、俺たちひょうきん族の人気も一緒に落ちて行ったそうです。

すごいなぁと思います。たけしさんの番組作りには、そういう緻密な計算があったんですね。

たけしさんはドラクエ3

たけしさんの「常識が大事」という話、ドラクエ3みたいだなと思いました。

ドラクエって、IとⅡの後にⅢが発売されたんですけど、製作者の中では、Ⅰを発売する時点で「本当はⅢみたいなゲームを出したいんだよなぁ」と思っていたそうです。

まずドラクエIで主人公に一人旅をさせ、「ロールプレイングってこんな感じですよ」って世間に示しました。一人ですから、やれることって少ないです。モンスター倒して経験値稼いで、ドラゴン倒してローラ姫を救い出して、ラスボスの竜王を倒すとエンディング。めちゃくちゃシンプルなゲームでした。

つぎのドラクエⅡではパーティ制を導入しました。戦士系の主人公、魔法系のムーンブルク王女、そして頼りにならないサマルトリアの王子。戦闘のバリエーションがグッと広がります

そしてやっとドラクエⅢ。ここで本気を出します。作ったのは「ルイーダの酒場」。仲間の名前や性別を自由に選び、パーティを編成して旅をすることができるようにしました。

物語も深みを出していきます。ドラクエⅢの勇者一行は、ⅠとⅡの勇者たちの先祖という位置付けとし(伝説の勇者ロト)、舞台となった世界「アレフガルド」の秘密が明かされます。

すごいなぁと思います。いきなりドラクエⅢを出さなかったところが本当にすごい。

どう考えてもドラクエⅢが圧倒的に面白いのですが、そんなに面白いアイデアがあるのに、グッと我慢してIとⅡを出すって、忍耐力が強すぎます。でも製作者は分かっていました。IとⅡが無くていきなりⅢを出されたら「えっ?これどうやんの?」ってみんな戸惑って、きっと売れないだろうことに。ⅠとⅡという常識があってこそのⅢなのです。

そういう意味で、ドラクエⅢって「RPGってこういうのだよね」という常識をプレイヤーの中に形成することをすごくよく意識して作られるんです。漠然と突飛な面白さを目指すんじゃなくって、常識を緻密に計算して面白さを産もうとする天才性が、ひょうきん族を作ったたけしさんによく似てるなぁと思いました。

でもって、松本さんは任天堂

さて、ゲームと芸人いえば、キングコング西野さんが「松本人志さんは任天堂だ」と例えて、その絶妙なたとえ加減が話題になりました。

普通、松本さんを褒めるときって、ボケのワードセンスとか瞬発力とかなんですけど、西野さんが目をつけたのが「ハードを作る力」。

たとえば、すべらない話とか、IPPONグランプリとか、笑ってはいけないとか。みんながネタというソフトをせっせと作ってる中、松本さんだけファミコンみたいなハードを作ってるところが天才なのだそうです。

ハードと言ってる意味は、ハードを使う側の人に「ここに差し込むならこんなソフトでお願いします」ってルールを提示していることでもあります。こうやれば面白くなりますよって言えちゃうところが天才ですよね。もう次元が違います。それでいて松本さんは自分でソフトも作りますからね。

この話を聞いたとき「西野さんうまいこと例えたなあ」と思いました。だから、今回は真似をして、たけしさんを何かに例えようとしてみたんですけど、出てきた例えが「ドラクエ3」。全然だめですね。松本さんとゲームで被ってるし、任天堂よりランク下なソフトで例えてしまっています。たけしさんに失礼な感じになってしまいました。

ゲームで例えるという常識に縛られてしまいました。誰か私をバズーカで撃ってくれません?笑。

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