声をほめてくれた先生に大袈裟ではなく人生救われたと感謝している話

コラムの第58回。

コンプレックスの話です。

「きみの話し方は、ゆっくりしてて、安心できるね」と言ってくれたのは、大学1年生のときに通っていたボーカル教室のS先生でした。私はこの言葉にどれだけ救われたか分かりません。S先生は、私の声を肯定してくれた初めての人でした。

私は声に自信がありません。普通に話しているつもりなのに「口をしっかりあけて話したら?」とアドバイスされるくらい声に難があります。かつては、もっとひどいものでした。

小学生のころは、のどを絞るような声しか出ませんでした。それに、誰か間違えてミュートボタンを押したのではないかと思うくらいの声量しか出ませんでした。

意識して、とっても頑張って大きな声を出したら「声が小さい」と怒られました。もっと頑張って大きな声を出したら「なにその言い方?怒っているの?」とこれまた怒られました。どうしろっちゅうねん、と思いました。

小さな声は、私の大きなコンプレックスです。声が聞き取りづらいと言われるだけで沈んだ気分になり、一週間は平気で引きずります。「えっ?」と聞きかえされると、それだけで一日中嫌な気持ちになります。自分でも繊細すぎると思うのですが、コンプレックスってそういうものですよね。

頑張っていないわけではないのです。むしろ、人一倍頑張って直そうとしているのです。ボイトレにも通ったんです。4年も通ったんです。でも、声の質が劇的に終わっていたのです。だから、生まれつき通りやすい声をしている人にアドバイスをされると、無神経に感じられて腹が立ちます。声質が悪いと、性格も悪くなるのです。

自分の声に自信が持てなさすぎて嫌になります。もし声を発さずにコミュニケーションできる超能力が発現したら、どれだけ人生が明るくなるでしょうか。要するに、私はテレパシー能力がほしいのです。テレパシーさえあれば、私だってもっと社交的になれたことでしょう。

しかし、もしかしたらテレパシー界にも、聞き取りやすいテレパシーと、聞き取りにくいテレパシーがあるかもしれません。「ジジ…。おはょ…う…。ジ…ジジ…」みたいな。

頭の中で「いやテレパシーでも声小さいんかい!」というツッコミテレパシーが響いたら、それはそれで悩むことになりそうです。

そんなわけで、声は長年のコンプレックスだったのですが、「ゆっくりで安心する」と言ってくれたS先生は、私の声にも褒める要素があると教えてくれました。あの言葉に救われたから、今日も生きていると思えます。

S先生には、とっても感謝しています。田舎くさい、ゆっくりとした話し方ですが、そこに安心感をもってもらえるとは、考えもしませんでした。

S先生はボーカル教室をやめてしまいました。私も東京を離れて遠い田舎にいってしまいました。でも、またいつか会えるといいなと思っています。もし会えたら「あのときは、ありがとうございました!」と大きな声で言おうと思います。

S先生が「えっ?」と聞き返したら、立ち直れなくなるかもしれませんが。

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