ランドセル・タトゥー

コラムの第92回。

なぜあんなことしてしまったんだろう。自分でも意味の分からないことをしてしまい、恥ずかしい思いを抱えながら生きていたことがあります。

それは小学校2年生のときのこと。5限目の授業が終わったあと、毎日5分くらい、帰りの会がありました。先生のお話を黙って聞くという退屈な時間です。

その帰りの会では「ランドセルを机の上におきなさい」という謎のルールがありました。退屈な環境で目の前にランドセルがあると、いたずら心が湧いてきます。なんかランドセルで遊びたいなと思いました。

そこで私は、ランドセルの横に紐でくくりつけていた家の鍵を手にとり、ランドセルに押し当てみました。アホだったので、鍵でランドセルをひっかいたらどうなるかな、と思ったのです。

先の丸い鍵でした。鋭利じゃないし、どうもならんだろうと思いながら、鍵を動かしてみると、ギ、ギ、ギ、ギ、という音と共に、ランドセルの表面に小さな傷がつきました。えっ、傷がついた。

その傷を見たとき、なぜか、少し嬉しくなりました。私が想像していた以上にランドセルはか弱い存在であり、そのか弱いランドセルを自分は自由自在に傷つけられると分かったとき、ランドセルを「支配している」という気持ちよさを感じたのでした。

また鍵でランドセルをひっかいてみました。ギ、ギ、ギと音がして、新しい傷ができました。このギ、ギ、ギという音が私にはランドセルの悲鳴に聞こえました。その悲鳴を聞くと、なぜかランドセルをいじめたくなる残虐な気持ちが高まり、嬉しくなってしまい、たまらずギギギと引っ掻き続けました。

はっ、と我に返ったとき、ランドセルはズタボロになっていました。親が見たら「誰にいじめられたの!?」と騒ぎになるレベルのズタズタ感でした。まずいことをしてしまった、と思いました。

同時に、とてつもない羞恥心が押し寄せました。このランドセルの傷を見られたら「私は残虐な人間です」と他人に知られてしまう。恥ずかしい。なんてことをしてしまったのだろう。

あわててランドセルを手で擦りますが、傷は少しも薄くなりません。消しゴムで消そうとしましたが、ちっとも消えないばかりか、皮がこすれた白い跡が残り、よけい汚らしくなりました。絶望です。私はこれをあと5年も背負わなければならないのか。これはもはやタトゥーです。ランドセル・タトゥー。

それから数年もすると、同級生のランドセルにも徐々に傷が積み重なっていき、私のランドセル・タトゥーは目立たなくなっていきました。ランドセルを背負わなくなった今では、誰にも知られることがなくなりました。

あのときの残虐な人間性は、ランドセルと一緒に捨てたつもりです。ちゃんと捨てられているといいのですが、いつかまた顔を出すのではないかと、不安を抱えています。これは一生背負っていく業なのかもしれません。ランドセルだけに。

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