刺激と反応の間のスペース

「刺激と反応の間にはスペースがある」

尊敬する先輩に言われた言葉です。「僕がそのスペースを認識できるようになったのは30代後半になってからだったよ」と謙遜しながら語る先輩は、きっと初めて生ブッダを見たらこういう風に見えるんだろうなと思うくらい、後光が差していました。

刺激と反応の間にはスペースがあるとは、およそこんな意味でした。

他人に罵倒されても、それはただの刺激である。私たちはそういった刺激を受けて「何だこのやろう」と怒る反応もできるし、「この人は悪口を言わないとやっていけない可哀そうな奴なんだな」とスルーする反応もできる。

刺激と反応がピッタリくっついている人間は、怒りに飲まれた人生になる。それはとても悲しい。一方、刺激と反応の間にスペースを意識できる人は、常に好ましい反応を選択し、心穏やかな人生を送ることができる。そっちの方が素敵な人生じゃないだろうか。

この先輩の教えは、短気な性格に悩んでいた私の胸にクリーンヒットしました。以来「刺激と反応の間にはスペースがあるんや。私はそのスペースを使いこなして幸せになるんや!」と宣誓することが朝の日課になったくらいです。

後に先輩は言いました。「刺激と反応の間のスペース理論」は先輩のオリジナルではなく、自己啓発本の名著「7つの習慣」に書かれていると。すぐさま、7つの習慣を購入した私は、聖書のように常にバッグに入れ、ボロボロになるまで読み込んのだのでした。

あれから5年。私の空間認識能力は発展を遂げ、いまや自分は、刺激と反応の間のスペースを誰よりも把握できている、という自負を持てるようになりました。それと同時に、別の気持ちが湧くようになりました。

この気持ちをうまく表すエピソードがあります。H中学校バスケ部と合同練習をさせてもらったときのことです。

H中は県で優勝するほどの強豪校でした。190センチを超える選手がいるわけでもなく、県外からスター選手を集めたわけでもない。ただただ、コーチの指導がずば抜けて素晴らしく、普通の中学生が県優勝レベルに成長していくバスケ部。憧れないわけがありません。

どんな練習をしたらあんなに強くなれるんだろう。私はワクワクしながら練習に参加し、そして、度肝を抜かれたのです。

彼らの練習はなんと「ドリブル禁止」。広いコートをパスだけで繋ぎ、圧倒的なスピードでボールを運ぶトレーニングをしていました。ドリブルを禁止されると、どうなるかというと、選択肢がパスしかなくなります。するとディフェンスはパスだけを重点的に警戒し、普通のパスが通らなくなります。

そこで、H中の部員たちは考えます。どのスペースに走り込めば、パスがもらえるだろうかと。そんなことを日常的に繰り返していくと、コート上のスペースが手に取るように見えるようになるそうです。その結果、バスケIQがぐんぐん上がり、強くなるということでした。

画期的なトレーニング方法だと思いました。ぜひやってみたい。私は自分の中学校に帰ると、さっそく実践しました。自らに「ドリブル禁止令」を課し、パスコースを探すことに徹したのです。すると、どうでしょう。「コートにはこんなにスペースがあったのか」と思うくらいスペースが見えるのです。

見える、見えるぞ!

すかさずスペースをめがけてパス。

勢いよく飛んでいくボール。

ナイスパース!となるかと思いきや、ボールは誰もいないスペースを通りすぎ、ボンッ、ボンッ、と音を立てながら、コートの外へ跳ねていきました。「おいっ、なにしてんの」チームメイトが私のパスミスを責めてきます。いや、あの、スペースがあったから、そこに走りこんでくるかと思って…。

そこで気付いたのです。スペースが見えるだけじゃ意味がないのだと。走り込んでくれる味方がいてこそのスペースなのだと。走り込んでくれなかったら、スペースの無駄遣いなのだと。スペースが見えるようになった分、なんで走り込んでくれないんや、と苦しくなるのだと。

これはバスケの話ですが、アンガーマネジメントも同じだと思うのです。たしかに、刺激と反応の間のスペースは見えるようになりました。スペース視の達人になりました。しかし、見えたとて、なのです。見えたとて、怒らない選択をできるかは別問題なのです。

先日、ブログの記事を、G社のメモ帳アプリを使って書いていたのですが、パソコン側のアプリで2時間かけて書いたのに、スマホ側のアプリで間違って同期してしまい、上書き保存されて記事が消えました。

刺激と反応のスペース。
刺激と反応のスペース。

私は怒らない選択ができる。
私は怒らない選択ができる。

怒らないと幸せになれる。
怒らないと幸せになれる。

うおー!

スマホを投げました。

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