汐見夏衛さん著「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」の感想

汐見夏衛さんの「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」を読みました。

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この本との出会いは思いがけないものでした。

数日前、病院の屋上を歩いていると、西村京太郎を読んでいる男がいました。五十歳前後でしょうか。短く刈り上げた茶髪には白髪が混ざっており、肌は黒く焼けています。

男は腰を折り、本を抱えるようにして夢中で読みふけっていました。そうとう本が好きなのでしょう。同志。私は思い切って声をかけました。

「おもしろいですか?」

男はパッと顔をあげ、辺りをきょろりと見渡しています。私が声の主だと分かると、はにかんだ笑顔になりました。

「ああ、うん、おもしろいですよ。本、好きなんですか?」

私は「はい、好きです」と頷きました。

それから男は、肩の靭帯を怪我したこと、普段は力仕事をしていること、しばらく仕事は無理そうなこと、実はあまり本を読むタイプではないこと、を教えてくれました。

この入院を期に読書にチャレンジしようと思ったそうです。

「この病院に本棚があるじゃないですか」私は尋ねました「なにか面白かったのありましたか?」

すると男は、ある小説を読んで感動したのだ、と黒い顔を紅潮させて、勢いよく語りはじめたのです。

「女の子が戦時中にタイムスリップして、特攻隊に恋をするんですよ」「すごく読みやすくて、面白かったんです」「看護師さんに、それ私も読みました、と言われたりして」「おすすめですよ」

そう言って席を立ち、しばらくして一冊の本を手に持って近づいてきました。それが「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」でした。

読んだら戻しておいてね、それじゃ、と男は去りました。屋上にはツツジが咲き始めていました。

後日、私は最後のページをめくり終えました。目頭が熱くなり、まつ毛が濡れるのを感じました。いい物語でした。そして男のことを想います。

あのツツジが咲く屋上で、男とまた出会えたら、次はきっとこの本の話をしよう。

あらすじ

口が悪くて素直になれない、反抗期まっさかりの中学生・加納百合が、終戦二ヶ月前の日本にタイムスリップし、特攻隊の青年・佐久間彰に恋するお話。添い遂げられないことが運命づけられた悲しい恋心が描かれている。

読者は、女子中学生の恋というフィルターを通して「戦争とは大切な人を奪われる不条理である」ということを生々しく体験するだろう。ただ泣けるだけでなく、戦争について実感をもって考えさせられる。教材的価値の高い作品。

汐見夏衛著「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」スターツ出版文庫(2016年).

登場人物

加納百合(かのうゆり)・・・ 反抗期な女子中学生。くそ生意気。刺激のない日々に苛々している。思ったことをすぐ口に出す。

百合の母 ・・・ シングルマザーで百合を育てる。口が悪い。

佐久間彰(さくまあきら)・・・ 特攻隊員。イケメン。穏やか。妹がいる。

ツルさん ・・・ 鶴屋食堂を営む50歳くらいのおばさん。特攻隊員のために赤字経営をいとわない人格者。家族を戦争で亡くした過去がある。

千代 ・・・ 近所の魚屋の娘。百合と仲良くなる。

石丸 ・・・ 特攻隊員。20歳。千代の想い人。

寺岡 ・・・ 特攻隊員。29歳。妻子あり。包容力がある。

加藤 ・・・ 特攻隊員。26歳。熱血漢。元教師。

板倉 ・・・ 特攻隊員。17歳。商家の四男。愛嬌がある。

感想

戦争の疑似体験

あとがきを読むと、本書のテーマがこのように書かれていました。

『他人の命を奪う権利は誰にもない』ということを伝えたい、と考えた時に思いついたのが、この小説を書くことでした。(p.274)

鹿児島県で生まれ育た著者は、子どものころ、学校行事で「知覧特攻平和会館」を訪れ、死ぬことを強要された若者たちがいたことに衝撃を受けたそうです。

さすがプロの作家になる人は感受性が違うなと思いました。

私もこの平和会館を訪れたことがあります。家族旅行でした。しかし著者のように価値観を揺さぶられるような衝撃を受けることはありませんでした。資料などから戦争に間接的に触れただけでは、どこか他人事に思えてしまい、十分なリアリティを感じとれなかったのです。

それは広島の原爆ドームに行ったときも、沖縄の防空壕に入ったときも同じでした。学校に提出するレポートには、さも分かったように「戦争の悲惨さを感じた。もう二度とこんなことをやってはダメだ」と書いているくせに、実のところ「悲惨さ」がなんなのか、本当はよく分かっていなかったのでした。

大人になって思うことは、戦争の悲惨さとは、大切な人を理不尽に奪われる悲しみや憤りなのではないか、ということです。

交通事故。不治の病。無差別殺人。自然災害。大切な人を理不尽に奪われる設定は、さまざまな小説で採用されています。そういった状況におかれたとき、人間にどのような感情が湧き上がるかを知るための装置が小説だと思います。

あらゆる理不尽のなかで、決して許してはならないのが、人為的かつ組織立って行われる「生命の搾取」です。その最たるものが戦争でしょう。

私たちは、小説を読むことを通して、戦争に巻き込まれたとき、自分に湧き上がるリアルな感情をシミュレーションし、戦争に対してどういう態度をとればいいかを学んでおくべきです。

そういう意味で、本書はたいへん教育的でした。

現代に生きる女子中学生・百合の視点で、戦時中にダイブし、特攻隊員に恋をした自分が、どのような感情が芽生えるかを、リアルに体験できるからです。わたしたちは百合の恋心に感情移入しながら、同時に「戦争になるとこんな気持ちになるんだ」ということを発見していきます。

オリンピックと無駄死に

現代に生きる私たちは、戦時に生きた特攻隊員とはまったく異なる価値観をもっています。

「アメリカに負ける」というシナリオをすでに知っている私たち(と百合)から見れば、戦争は負けに向かう戦いです。百合は特攻隊を「無駄死に」だと考えています。私もそう思っていました。

しかし、特攻隊にとっては、万に一つの勝ち目があるかもしれない戦いなのです。

だからこそ命を投げ打ってでも、戦争に勝利し、身近な人を守りたいというメンタリティになるのです。以下の文章は、(強いられた戦いとはいえ)戦争に前向きな彼らを、うまく例えているなあと感心しました。

まるでオリンピックか何かを観戦して日本代表を応援している現代人みたい、という印象を受けた。(p.78)

国民の期待を背負った日本代表選手に「どうせ負けるから戦わないで!」と声をかけても、それは無駄だし、代表選手を苦しめるばかりです。

戦争とオリンピックはまるで別物という先入観がありますが、一度「国のために死ぬ」と決めた特攻隊員と当時の人達にとっては、オリンピックで活躍するのが当たり前くらいの風潮があったのかもしれません(作者はそう想像したのだと思います)。

特攻を止めるのは、本人にも周囲にも不可能になっている。みんなが「これは正しい戦いだ」と思い込んでいる。これほど恐ろしいことはありません。

少女の成長と夏

ところで、この小説は終戦前の特攻の話なので、「夏」が舞台になります。作者は夏の印象を使って、少女の成長をうまく描いています。

最初のシーンでは、夏は苛々するものの象徴として登場します。強すぎる日差し。うるさすぎる蝉。百合からみて夏はうっとうしいものです。

最後のシーンでは、夏は幸せを象徴するものに変化します。空襲の風景に比べれば、鬱陶しかった日差しも蝉も、平和な一日の証拠に見えるのです。

まったく同じ夏ですが、見え方が変わったことで、百合の内面が成長したことが伝わってきます。こうして本を読んでいる私も、今は入院していますので、何気ない外の景色がキラキラ輝いてみえます。分かるなあと思いながら読みました。

0と100

登場する特攻隊員は、彰だけではありません。ひょうきんな石丸。妻子もちの寺岡。使命に燃える加藤。まだ若い板倉。みんな自ら「特攻隊になります」と志願した者達ですが、細かくみれば一枚岩ではありません。命を捨てる覚悟や、残してきたものの大きさに違いがあるからです。

0か100かではないのです。命を捨てる覚悟が100の特攻隊員もいれば、80くらいの特攻隊員もいます。同じ隊員だって、最初は100だったけど、いざ特攻命令が出ると70になったり、50になったりします。

小説を読む以前も、特攻隊がみな心残りもなく飛び立ったとは思っていませんでした。しかし、百合の目線に立って身近な人物として特攻隊員をとらえたとき、怯えたり、迷いを振り払おうとする姿には、心にくるものがありました。迷っていたんだなあと真の理解に近づいた気がします。

p.258は涙無くして読めませんでした。

まとめ

軽やかな文体で、中高生にも読みやすく、戦争の疑似体験ができる小説でした。最初は人物描写がもの足りないかなと思いましたが、ちゃんと感情移入できますし、最後は畳み掛けるように心が揺さぶられて、泣きました。

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