プレゼント攻撃

アメリカやポリネシアの原始社会には、憎い相手にあえてプレゼントを贈る風習があるらしい。ポトラッチと言うそうだ。

私がそれを知ったのは、入院中に推理小説を読んでいる時だった。ある男が奇妙な遺言を残して亡くなった。「自分を殺した犯人に莫大な遺産を相続させる」という遺言だ。それがポトラッチだった。

ポトラッチはお歳暮に似た概念だった。

お歳暮をもらって「お返ししなきゃ」と思った経験はないだろうか。ふつう善意を受けた人間は、それ以上の善意でお返ししないと気持悪さを感じる。原始社会ではこれがルール化されていた。

ある部族Aと部族Bが憎しみ合っているとしよう。AはBに贈り物をする。するとBにお返しの義務が発生する。BはAに贈りものをし、AはまたBに贈り物をする。

ポトラッチで重要なのは、相手から貰った品物よりも「価値の高い贈り物」をするという縛りがあることだ。贈り物のラリーが続くにつれて、贈り物の値段が釣り上がり、どこかで破綻する。

贈り物を返せなくなった部族は罰を受ける。部族の長が殺される場合もあったらしい。ポトラッチはお歳暮に似ていると言ったが、抱え切れない善意を攻撃手段として、相手を破滅させる目的があるところに違いがあるのだ。

さて、冒頭の奇妙な遺言は、ポトラッチの考え方を使うと理解できる。

犯人は殺害した男から大金を贈られる。それは返すことのできない善意である。あまりにも大きな善意に心が押しつぶされた犯人は、苦しみながら生きることになる。男は、せめて罪悪感という形で犯人に罰を与えたい、と願って遺言を残したのだった。

だが、私は「むしろ犯人は喜ぶのではないか?」と思った。私が犯人なら遺産を前にして小躍りするだろう。善意の贈り物は攻撃手段として弱い。ポトラッチは古い風習であって、現代人にはしっくりこない考え方に思えた。

ところが後日、私はポトラッチを実行することになる。

病室に備えられたテレビには、カードの差し込み口があった。一枚1000円のカードを入れるとしばらく視聴できる仕組みだ。個室だとテレビは無料で見られるらしいが、安さが売りの四人部屋だとそうはいかない。

ひざの靭帯を手術した私は、この四人部屋で三週間を過ごすことになっていた。個室は高すぎて断念した。

スマホとポケットWifiがあるのでテレビは要らなかったが「いい暮らしがしたければ金を払え」と言われているようで、私はこの差し込み口が嫌いだった。

もっと嫌いなものがあった。四人部屋を仕切るカーテンの向こうから聞こえてくる、老人の生活音だ。許せる範疇をゆうに超えていた。憎んでいたと言っていい。

老人は耳が遠かった。それゆえ自分の放つ音に鈍感であった。食事の時間になると咀嚼音が鳴り響いた。くちゃ、ぴちゃ、じゅるっ、えはっ、がはっ、じゅるるる。コアッと痰も吐いた。イヤホンが手放せなかった。

耳が遠いだけでは説明がつかないことも多かった。要するにモラルが欠落していた。

老人はよく放屁した。毎日ノルマのように最低3回はぶっこいた。そしてよく病室で携帯の着信音を鳴らした。音量は最大だった。そのまま大きな声で妻と電話をした。興味のないパンツの話を聞かされた。病室では通話禁止というルールだった。

ひとり言も多かった。病室に着くなり「コンセントひとつしか無いんか!」と文句を言っていた。看護師さんの目の前でよく言えるなと思った。ふつう延長コードを持ってくるだろう。

老人は夜行性だった。ひとり言は深夜の方がひどかった。私はいつも午前二時に目を覚ました。隣で「ああああー!」と叫ばれては寝られるものではなかった。いびきも大きかった。

どうしても許せなかったのは、あくびだった。老人はあくびをするとき「あっ、あっ、あーあ!」と喉を開いて気持ちよさそうに叫ぶ。この声の大きさったらなかった。

老人は気持ちいいかもしれないが、その代償で周りが不愉快になることへの配慮がない。深夜でもお構いなく「あっ、あっ、あーあ」を放つ。壊れたスマホカメラのように連射するときもあった。

憎かった。必ずこの邪智暴虐の王を除かねばならぬと決意した。

すぐに思いついた復讐法は「あくび返し」だった。私も「あっ、あっ、あーあ!」とやり返してやろうと思ったのだ。きっと「そのあくびは迷惑ですよ」という意図が伝わるはずだ。

だが実行しなかった。あくび返しをしてしまっては、老人と同じレベルに落ちてしまう気がしたからだ。自分はモラルある人間でいたかった。部屋には老人以外にも患者がいたので、その人に悪いとも思った。

ふと机の上のテレビカードが目についた。どうしてテレビを見ない私がカードを持っているかというと、別の患者が退院するときに「これ余っちゃったから良かったら」とプレゼントしてくれたからだ。

一度挨拶しただけの患者だった。関係ない私に親切をしてくれた。嬉しかった。そのカードを見た瞬間ひらめいた。ポトラッチだ。

実のところ「カードをもらう」という親切をしてもらったことで、自分もなにか良い行いをしなければいけないという気持ちになっていた。

最初は善意が伝染したのだと思っていたが、入院中に推理小説を読んで理解した。これはポトラッチだ。受け取った善意を抱えきれなくなり、気持悪くなったのだ。

そこで私は考えた。老人に親切をプレゼントしてやろう。抱えきれない親切をプレゼントして気持悪くなるがいい。そうだ、老人はコンセントがひと口しか無くて困っていたはずだ。私の延長コードをくれてやろう。ちょうど1個予備をもっていたのだ。

カーテンを開けると老人は目を丸くしていた。構わず要件だけ伝えた。「これ、延長コードです。良かったらどうぞ」老人は「あ、ああ。使わせてもらうよ」と言って延長コードを受け取った。

なぜだか心が暖かくなった。

次の日、廊下で老人とすれ違った。「昨日はどうも、ありがとう」お礼を言われた。やめろ。そんなこと言うな。親切を返すんじゃない。親切を返して気持悪さを解消するんじゃない。

でも、案外悪い人じゃないのかも、と思ってしまった。モラルが欠けているだけで、悪気はないんだ。ちゃんとお礼を言える人なんだ。

くちゃ。くちゃ。部屋に響く咀嚼音。別に延長コードをプレゼントしたからと言って、生活音が小さくなることは無かった。今日も元気にうるさい老人だ。不思議なことに、聞こえる音はちっとも変わらないのに、前ほどストレスを感じなくなった。

私は仕掛けたポトラッチは、老人を破滅に追い込めなかった。だが心の広さが得られた。80過ぎたおじいちゃんだもんな、と許せるようになった。親切を与えるのは悪く無いとすら思った。

老人は今も隣でうるさくしている。「あっ、あっ、あーあ!」は続いている。その声を聞くたび、私は「次はどんな善意をプレゼントしてやろうか」と不敵に笑うのだった。

(補足:ポトラッチに違和感を抱いたという書き方をしましたが、小説を批判したいのではありません。むしろ小説はたいへんおもしろいものでした。実はポトラッチの違和感すら作者は織り込み済みで、ちゃんと度肝を抜かされる展開が待っていたのです。おすすめです)

参考:新川帆立著「元彼の遺言状」宝島社(2021年)

コメント

タイトルとURLをコピーしました