妻が母になった日

妻が『母』になったのは、息子を産んでから、一年八か月が経過してからのことだった。

***

「パパ?なにしてるの?」

昨夜八時。顔をあげるとダイニングテーブルの反対側に息子が居た。不思議そうにこちらをみている。いつもなら布団に誘う時間に、とつぜん私が工作を始めたものだから、不審に思ったのだろう。

しかたがないのだ。妻に見つからないタイミングはここしかないのだから。

「お花だよ」
「お花?」
「そう、お花。一緒に作ろうね。見てて」

そう言って私は、オレンジ色の折り紙を持ち上げる。「へー」とよく分かっていない声を出す息子を前に、ハサミをとりだし、等間隔に細かく切れ目を入れていく。

その端にテープを貼り付けて、ストローにくるくると巻き付けると、花びらのような形になった。

「うわあ!ぼくも作る!」
「うん、いっぱい作って花束にしよう」
「これ、何のお花?」
「これはね、カーネーションだよ」

男二人による、母の日のプレゼント制作である。こうしてプレゼントを作っていると、ある母の日の事件の記憶が蘇ってくる。

***

妻は母の日をマメに祝う人だ。

結婚してからは「これお義母さんに」と、私の母の分までプレゼントを用意してくれるようになった。紅茶セットだった。

「はい、母の日」何食わぬ顔で母に贈ると「お嫁さんが用意したんでしょ」と言われた。息子への信用がないなあ。まあ図星なのだが。

それ以来、毎年五月になると、オンラインショップの品々を吟味し、プレゼントを選ぶのが母の日の恒例となった。

といっても、私は政治家くらい記憶を無くす男なので「あっ、これいいじゃん」「それ昨年と同じだよ」という過ちを平気で犯す。

優しい妻は、しかたないなあと笑い、ひとりで調べてくれる。「これでいいかな」との提案に「すごくいいと思う」と返すだけの儀式。頼りっぱなしにしていた。

息子が生まれた。里帰り出産だった。「これでいいかな」「すごくいいと思う」の儀式をLINEで行った。

翌年の母の日は、里帰りから戻ってきた妻と、同じソファに腰かけて儀式を行った。無事に母へのプレゼントを注文できた。

すると、何もしていないのにフゥーツカレタという顔をしている私を見て、妻が呟いた。

「あのぅ。わたしも母なんですけど」

えっ。

数秒かかって理解した。このときの私がどれだけ冷や汗をかいたか、お分かりいただけるだろうか。

世の新婚男性にはぜひ知っておいてもらいたい。母の日は『自分の母を祝う日』なんかじゃない。『子供を産んでくれて母になった妻を祝う日』なのだ。

どうして気づかなかったのだろう。

「いいよ笑 気づいてないと思ってたし」

妻は寛大だった。どうしてこんなに甲斐性のない男と結婚してくれたのだろう。私は赦された。が、申し訳なさと罪悪感で押しつぶされそうだった。

「別に祝わなくていいよ」と妻は言った。そんなわけにはいかない。駅ビルに走り、間に合わせの生花とケーキを買ってかえり、ささやかなお祝いをした。

生物学的にはすでに母だった妻が、その日、一年八か月の時を経て、ようやく私の中で『母』になったような気がした。申し訳なさ過ぎた。

これからは毎年、母の日をちゃんと祝おうと決意した。

***

「カーネーションって何色?」息子が訊く。
「赤だよ」私は答える。
「じゃあ赤の折り紙ちょーだい」
「あいよ…。あ、やべえ。赤い折り紙がないわ」
「えー、じゃあ黄色にする」

四歳児にしてはハサミの使い方が上手なのだが、ところどころ切り込みが浅く、そのせいで、花が尖って巻き付いてしまう。おまけに花びらは黄色だ。カーネーションとは程遠い仕上がりとなった。

「これじゃ菜の花だ」
「わーい、菜の花できたー!わーい!」

毎年こりずに準備不足な父親と、まだよく分かっていない息子が贈るプレゼントは、折り紙で作った菜の花である。

これを明日渡す。「なんで菜の花?」とツッコむ妻の顔が浮かぶ。

いつもうまくお祝いできないけれど、『母』である妻への感謝が伝わってくれると嬉しい。


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