愛される人の特徴

愛される人の特徴は、ちゃんと懐を痛めている、ということに尽きると思う。

大学に入学したてのころ、サークルの先輩の家に泊まり、明け方まで飲むことが多かった。サークルには気前のいい先輩がいた。一歳年上。細目で短髪。笑うと高い声になる人だった。

その日も先輩の家で飲むことになり、スーパーに寄った。レジ袋は缶チューハイでパンパンになった。財布を出そうとすると「いいの、いいの」と高い声で制された。おごるのが先輩の役目だから、というセリフを聞いたのは何度目だっただろうか。

「先輩、お金はどうしてるんですか」思い切って訊いた。
「バイト。家庭教師してるから、オレ」
「いや、でも、そのバイト代、全部なくなっちゃいません?」
「いいの、いいの。だってオレ、おごるためにバイトしてんだもん」

衝撃を受けた。先輩は金銭的に余裕があるわけではなかった。「後輩におごるため」という理由で、貴重なアフターファイブや週末をバイトに費やしてくれていたのだ。

なんて徳の高い人なんだろう。この人のためなら一肌脱ぎたいと思った。先輩の実家が資産家だったらここまで尊敬はしない。ちゃんと懐を痛めていたからこそ、心を打たれた。

ホームレスが自分より空腹な人間にパンを譲る動画を見たことがある。やはり感動した。もしビルゲイツさんが同じ値段のパンを譲っていたとしてもバズらなかっただろう。そう考えると、どれだけ懐を痛めているか、どれだけ自分を犠牲にしているかが、人間の価値を決めているように思えてならない。

懐を痛めるのは、金銭に限った話ではない。先日、息子を見て「懐痛めてくれてるなあ」と感動する出来事があった。

「パパ、走れる?」

公園に松葉杖で降り立った私の横で、息子はかけっこのポーズをとった。昨年、年少さんのマラソン大会で銀メダルを獲得して以来、走ることに対する情熱が高まっている。一緒にかけっこをしたい、という圧を感じた。が、私は松葉杖である。

「ごめん、走れないなあ」

えー、と息子が肩を落とす。

「一緒に走りたい~」
「ごめんね、足が痛いから」

よほどかけっこがしたかったのだろう。私が前十字靭帯を切る前は「よーい、どん!」の合図で公園を何十往復も競争したものだ。息子がどれだけかけっこを愛しているか分かるだけに、余計に申し訳なくなった。すると、息子がこんなことを言った。

「パパ、早歩きはできる?」

いやいや。できないよ。だって松葉杖だもの。

「パパ、じゃあ歩くのは?」

きびいしいなあ。ごめん、できなさそう。

「なんにもできないじゃないかー!」

ごめん、ごめん。ゆっくり歩きならできるかも。

「ほんと!?じゃあ、ゆっくり歩きで競争だー!」

牛歩戦術で投票に向かう政治家のように、二人はゆっくり、ゆっくり、かけっこをした。「ゆっくりなかけっこ」って何だよ(笑)

「あーるーこー、あーるーこー、わたしはー、げんきー」

息子が口ずさむ。それ、絶対、かけっこのBGMとして間違ってる。公園の端に着くと「ぼくの勝ちー!」と息子が言った。いちおう、かけっこのテイは成しているようだ。

たぶん息子なりに気遣ってくれたのだと思う。

「ゆっくりなかけっこ」という謎競技をやって分かったのは、こんな競技に頼らざるを得ないくらい、息子は走りたくて堪らなかったということだった。四歳児が、抑えがたい走りたい欲求を我慢して、私の怪我を心配してくれたのだと思うと、心が温かくなった。こういう懐の痛めかたも素敵だ。

こんなことを言うと「親バカだよ」と言われてしまうかもしれないけれど、息子は愛される素質があると思う。このまま真っすぐ育ってほしい。

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