映画「そして、バトンは渡された」の感想

石原さとみさん、永野芽郁さん、田中圭さんが共演した映画「そして、バトンは渡された」の感想です。原作は、瀬尾まいこさんの本屋大賞受賞作でした。

まずタイトルに惹きつけられました。

別に「バトンは渡された」だけでもよさそうなものですが、「そして、」を付けられると「んっ?」となります。

「◯◯が◯◯した。そして、バトンは渡された」

本来の文章はこんな感じでしょうか。上の句を隠しているのですね。バトンが渡される前に、なにか核心となる事件があったことを暗示しているのでしょう。

「バトンとはなにか?」というのも気になります。ぱっと思いつくのは運動会のリレーですが、そんな単純なはずはありません。何かを比喩しているはずです。

何か大切なものを、何人ものひとが、大事に引き継いでいくお話なんだろうな。先祖代々伝わる超能力みたいな。そういえば、この前に読んだ辻村深月さんの小説にそんな設定があったな、などと、ぼんやり考えながら観始めたのでした。

まあ、私のチンケな推理なんてことごとく裏切られたのですが。

「えっ!そうくるっ!?」と何度も声を漏らしました。飽きさせない展開。それでいてハートフルで、やさしい気持ちなれる作品でした。

あらすじ

母を亡くし、男手ひとつで育てられた少女・みいたんは、父の再婚により束の間の幸せを手に入れる。だが身勝手な父は「自分のチョコレートを作りたい」とブラジルへ出奔。笑顔を絶やさない義母・梨花(石原さとみ)と二人で暮らすことに。度重なる再婚。返信がこない父への手紙。さらには義母まで失踪。みいたんの孤独は深まっていく。

一方で、笑顔を顔に張り付けた高校生・優子(永野芽郁)は悩んでいた。クラスでいじめを受けていたからだ。笑顔で引き受けた卒業式のピアノ伴奏。無理に押し付けられたのだった。笑顔を崩すのは「森宮さん」と呼ぶ、父親代わりの男(田中圭)の前だけ。

迎えた卒業式。みいたんと優子の物語が交錯する。

感想

この感想はネタバレを含みます。
映画を観た後に読むことをおすすめします。

絶妙なミスリード

二度、感動しました。

一回目は「みいたん」が「優子」と同一人物だと分かったとき。卒業式のシーンです。「旅立ちの日」のピアノ伴奏をする優子が、みいたんと重なる。「えー!優子って、みいたんだったの!?」まんまと騙されました。

どうして私は騙されてしまったのでしょう。おそらく、すれ違いの演出が見事だったからではないかと思います。

特に、森宮さんと優子が「誰か」を待って食事をするシーン。あれにはやられました。待ち人は梨花なんだろうなと匂わされ、梨花はあらわれず、次のシーンで梨花は、みいたんの新しい父親となる人と会っているのです。

森宮と優子とみいたんと梨花が同じ時間を生きている、と思い込ませるうまいミスリード。完全に思い込みました。

で、卒業式でネタバレ。優子とみいたんが重なる。うそーん。衝撃がすごかったです。

しかも、旅立ちの日という絶妙な選曲。これがまたいい曲なんですよ。小説は無音ですが、映画には音楽があります。曲の力を上乗せして感動を訴えかけてくるなんてズルいとすら思います。そりゃ泣きますよ。

しかも合唱がまたうまいんです。高校生とは思えない歌唱力。グッときます。さらに、義娘の晴れ姿を見て泣く田中圭。フラッシュバックする子ども時代の思い出たち。同時多発テロみたいに感動要素が襲いかかってくるんです。涙腺が馬鹿になりました。

どうして梨花はみいたんをおいていなくなったのか

二回目の感動は、優子が梨花を許すときでした。

物語の終盤で、梨花がみいたんをおいて失踪した理由が明かされます。病気だったのです。おそらく子宮系のガン。それが転移して、子育てがままならなくなった。

ママは風邪なんだと言ったりとか、ホットカーペットのシーンとか、髪を隠す帽子姿が多いとか、病気の伏線はたくさんありましたね。全部スルーして気がつかなかったので、病気オチには驚きました。

それまでの梨花の行動も腑に落ちました。「目的のためなら手段を選ばない女」とナレーションされた序盤は、ただのガメツイ婚活女に見せていたのに、実は子どもを産めない体だから、みいたんにすべてを捧げたようとしたという。なんて深い愛情でしょうか。

「笑ったらいろんなラッキーが舞い込むの」

梨花が幼きみいたんに教えこんだ言葉です。優子がいじめられても笑顔だったのは、梨花の教えを頑なに守っていたからだったのですね。これも感動ポイントでした。

バトンとは何か

さて、タイトルにある「そして、バトンは渡された」について考えてみます。

言わずもがなかもしれませんが、バトンとは子どものこと。つまり、みいたん(優子)を指した比喩でした。

普通、子育てはマラソンです。同じ親がスタートからゴールまで走り抜く。成人してお嫁に行くまで責任を持ちます。

本作はそんな固い枠組みから一回出てみて、血縁に縛られない親子の愛情をシミュレーションしたものです。

何人もの親が登場し、バトンを繋ぐように「みいたん」を育てます。最後には、みいたんは結婚し、新郎へとバトンが渡されました。

つまり、「(たくさんの父母がバトンを繋いだ。)そして、(新郎に)バトンは渡された。」という意味が隠されたタイトルだったのですね。

親は身勝手なものである

本作品の主題は「バトンリレーに見立てた子育て」ということで、子どもを振り回す「身勝手なところが親にはある」という闇の部分を感じました。

特に身勝手さが際立っていた人が三人いましたね。

みいたんよりも自分の夢を優先してブラジルに飛び立った父親。みいたんが書いた手紙を一度もブラジルの父に送らず隠した梨花(みいたんを実父から奪いたかった)。息子のピアノの才能に惚れすぎて将来を押し付ける母親。

自分勝手だなあと思う一方で、分かる気もします。親だって人間ですから。自分が可愛い瞬間はあります。私だってパパと遊びたがる子どもを目の前にして「今は静かに本を読みたいんだけど」と何度思ったことか。

しかし、身勝手な親にだって、愛情はちゃんとあるのです。

ブラジルに旅立った父親は、返事がこなくても、ダンボールいっぱいになるまで娘に手紙を書き続けました。夫の連れ子を奪った梨花は、みいたんにピアノを習わせるために好きでもない男と再婚を決意しました。ピアノを押し付けた母親は…どうでしたっけ。なんか良いところがあった気がします。

自分は可愛いけれど、子どもだって可愛い。それが人間らしさだなと思いました。梨花のように病気を隠して子どもに献身する美しさにも心打たれますが、親としての醜さと愛情深さを一緒に持っている姿の方が、私は共感します。

託すのも愛情

バトンリレーな子育ては、親の身勝手さを映す一方で、託すことだって愛情表現のひとつなんだ、ということを教えてくれます。

抱えきれないときは託す。

託した方が子どもにとっていいこともあると思います。それは梨花の病気のような大きな話にかぎりません。祖父祖母と一緒に子育てをする、という「プチ託し」にも通じるものだと思います。

数年前の話です。思い返すだけで辛くなりますが、コロナ禍で、頼る人もおらず、夫婦で小さい子ども二人を育てていたときの、あの閉塞感、逃げ場のなさ、プレッシャーは、いくら大人でも抱えきれるものではありませんでした。

どうにもならなくなって、逃げるように帰郷。祖父母に子どもを託しながら子育てをしている現在、「託すのも愛情なんだ」と思うことがよくあります。

子育てを一部でも人に託すようになると、自分に余裕が生まれます。余裕が生まれると優しくなれます。子どもの前で「優しい親」でいられることは、親にとっても子どもにとっても幸せなことだと思います。

一日中、子どもと一緒にいるよりも、半日誰かに預けて、夕方に会うと「こんなに可愛いかったっけ?」と驚くこともよくあります。適度に設計された会えない時間は、愛情を感じるために必須な栄養素なのでしょう。

託すのって大事だなあ。

そんなことを考えました。

まとめ

バトンリレー形式の子育てを題材に、親の身勝手さを描き、いや、それでも、託すという愛情の形もあるのだ、という考え方を提示してくれる作品でした。あったかい気持ちを満タンに充電してくれます。

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