瀬尾まいこさん著「傑作はまだ」の感想

瀬尾まいこさんの「傑作はまだ」を読みました。

前置き

瀬尾さんの小説を読むのは初めてでした。といっても、本屋大賞を受賞された「そして、バトンは渡された」は映画で見ていたので、本書は二作目のような感覚です。

「そして、バトンは渡された」は、子育てをバトンリレーに例えた感動モノです。ガソリンスタンドの給油みたいに、やさしい気持ちをドバドバ注いでくるような映画。子どものもとに走り出したくなる、エネルギーをもらえます。

思いましたよね。心暖まる話っていいなと。瀬尾さんの本、もっと読んでみたいなと。気づいたら本屋を徘徊していて、「あっ、これは」と手に取ったのが本作でした。

ひとことで言うと、電子レンジみたいな小説でした。

最近の電子レンジって、すごいんですよ。私、感動しちゃったんですけど、うちの電子レンジに「65℃」というボタンがあって、「なんやろう、これ」と思って押してみたら、なんと、お弁当が、65℃にあったまったんです!

65℃に! あったまったんです!

「なに当たり前のこと言うとんねん、こいつ」と思われたかもしれません。いやいや、ちょっと待ってください。お弁当をあっためるのって、けっこう難しくないですか?

たとえばコンビニで買ってきた『鶏のから揚げ弁当』をあたためるとします。パッケージをみると「600Wで1分30秒あたためてください」などと書いてあります。なんて親切なのでしょうか。さっそく電子レンジのつまみを回し、確実に600Wに設定します。鼻歌を歌い、待つこと1分30秒。

チン。さて、電子レンジをあけてみると・・・。「おまえ沸騰したんか?」くらいアッチアチの弁当が出現! なんなら薄いプラスチックの蓋が溶けて、ご飯にニチョーっとくっついていたりします。

なんでやねん。

600W1分30秒って書いてあったやん。電子レンジに個体差あるんかいな。さき言ってくれや。

さすがにプラスチックが溶けた弁当は食う気がしません。ダイオキシン的なものが心配になりますので。ゆえに捨てます。こんな悲しい事件があっていいのでしょうか。

そこにきての65℃ボタンです。こいつは間違いがないのです。わたしの弁当を、溶かすことなく、適切に、65℃に、おいしく温めてくれるのです。これ! 私がほしかったの、これ!

前置きが長くなりました。

瀬尾まいこさんの小説は、65℃ボタンのついた電子レンジのようなものだと思いました。ちょうどよくハートウォーミングなのです。適切に心が温まることが約束された小説。ぜったいに間違いなく優しい気持ちになれる本、でした。

あらすじ

主人公は(ほとんど)家から出ない小説家の男。ある日、ひとりの青年が男の家を訪ねます。しばらく泊めてくれと言うその青年は、写真でしか見たことがなかった息子・永原智でした。二十年間養育費を払い続けたけれど、いちども会ったことがない息子。どうして今になって急に会いにきたのか。

困惑する父親と、飄々とした息子の、奇妙な二人暮らしが始まります。

瀬尾まいこ著「傑作はまだ」エムオン・エンタテインメント(2019年)

感想

自覚のないダメ親父が成長するお話

「そして、バトンは渡された」に登場する親は、基本的にいい人たちでした。身勝手な理由で子どもを手放して、バトンパスのように次の親に渡したりするダメさはあるのですが、子を思う愛情も持ち合わせており、バトンリレーみたいに「託しながら愛する」という親子愛もあるんだなあ、と感じる作品でした。

一方、本作の主人公の男は、親としては失格もいいところ。まるで愛情がありません。親という自覚がないのです。バトンすら握らない。走者にならない。たんなるスポンサーとしての父親なのです。

合コンで知り合った女とワンナイトラブ。妊娠させてしまいます。お互いに愛情が無いのが分かり切っていた二人は、毎月10万円の養育費だけ振込み、それ以外は干渉しない、というルールを課すのでした。毎月10万円を振り込むと、領収書のように送られてくる息子の写真。はじめは感動するも、だんだんと他人事のように思えてくる。なんというダメ親父っぷり。いやいや、お前の息子やぞ。連絡くらいせえよ。

でも、悪い人じゃないんですよ。この男。悪気がないんです。ただただ無神経なだけ。妻や息子に対する想像力がないだけ。外に出ないし、人と会話もしないから、社会性が欠落してしまっているだけ。害を及ぼそうと思ってやっているんではないんです。自分がやばい奴だと気づいていないだけなんです。

つまり常識がないのです。本当に小説家か?と思うほど、世の実情からズレてしまっている男なのです。からあげクンをしらない。スタバラテを飲んだことがない。食事はレトルト。自治会にはダルいから入らない。でも国語力はある。ニュースやテレビを見ているから、世間は分かっている(と自分では思っている)。想像で小説が書けてしまう。そんな男。そんな父親。

そこに転がり込んでくる息子の智は、父親とは真逆で、愛想と要領の良さを生まれ持っているタイプでした。ふつう連絡しようともしてこない父親のところになんて行きたくもないでしょう。父親を訪ねる理由があるとすれば復讐。何か意図があるはずです。

智は父を訪ねた理由を聞かれて「バイト先が近いから」という取ってつけたような説明をします。そんははずはないでしょう。真の理由は何なのか? どうしてやってきたのか? この謎が推進力となって、ページをめくりたくなります。

すると、だんだん分かってきます。あっ、この子、ほんとうにいい子なんだ、と。恨んでもおかしくないのに、ちゃんと真っすぐに育って、父親思いの、素晴らしい子なんだって、分かるんです。あまりに健気な子なのです。

そんな智と暮らすようになった父は、智から人間関係とはどうあるべきなのか、近所づきあいはちゃんとしましょう、といった基本的なことを学んでいきます。智の言葉を引用すると、

相手の反応を求めたら何もできないよ。おっさんだって、俺が淹れたコーヒー、当然の顔で飲んでるだろう? 君の淹れたコーヒーは最高だ。この一杯で俺は救われる。心からの感謝を贈る。くらいいってもいいのにさ。(p.119)

こういう風に、父親の失格行動をサラッと指摘して諫めるのです。と思えば、冗談だよ、別にコーヒーくらいで感謝とかいらないって、と流す大人っぷり。どっちが親か分かりません。こうした智のスマートなコミュ力向上講座を通して、父親が過ちに気付き、成長していくのでした。

読んでいて強烈に思ったのは「智には幸せになってほしいな」ということです。そのためには、このダメ親父に成長してもらわないといけない。おいっ。しっかりしろっ。いいぞっ。いい学びだっ。その調子。もっと智に気遣え! って感じで、応援しながらページをめくるのは、実に楽しい読書体験でした。

成長していってくれると、だんだん憎めなくなっていくから不思議なものです。すごく嬉しいんですよね。成長してくれるのが。もしかしたら、このダメ親父に、自分を投影していたのかもしれないです。私はここまでひどくない(と思いたい)ですが、でも、父親と母親の「子ども理解度」を比べたら、やっぱり父親って、子どものこと分かっていない存在になりがちで、私もそうだと思うのです。

親の役割って、やっぱり、子どもにどれだけ愛情を注ぐか、ってところがあるじゃないですか。大黒柱として稼いでいればいい、家のことは妻がやるもんだ、なんて昭和すぎます。令和では通用しません。ちゃんと子供と正面から向き合う。たくさん時間を過ごす。いっぱい話す。そういうのが必要だと思うんです。

↑これ、できてますか? って問われている気がするんですよね、この本を読むと。本作の主人公は「養育費だけ払って子供に会わない」という究極のダメ親ムーブをしてますけれども、程度を下げれば、仕事ばっかりしている親と同じようなものなので、自分にもそういうところあるな、って反省するんですよね。もしかしたら、このダメ親父って自分かも、って思えてくる。だからこそ、そんなダメ野郎が成長してくれると、自分も成長できたように感じて嬉しくなるのかもしれません。考えすぎですかね。

どうして智は父を訪ねたのか?

智が父を訪ねた理由は終盤で明かされます。当然、バイト先が近かったから、というのは嘘の理由です。本当の狙いがあったのです。

それを書いてしまっては小説を読むのが面白くなくなるので、書きませんが、ヒントは「特殊な親子のコミュニケーション方法」にありました。二十五年間、顔もあわせたことのない親子ですが、非常に限定的ながらも、コミュニケーションは成立していたのです。

その方法は序盤で明かされています。父親にとっては毎月送られてくる写真がコミュニケーションツールでした。「元気なんだな」くらいに捉えていますが、写真の描写をよく読むと、隠された意図があったのです。

息子にとっては、父親が書いて出版する小説がコミュニケーションツールになっていました。小説を読んでいることを父に伝えるシーンが序盤にあります。藻屑を”もずく”と間違えていたりして「この子は国語力が無い」と切り捨てられてしまうのですが、智は、しっかり読めています。読めているからこそ、父を訪問したのです。

これらの謎が明かされたとき、心がほっこりしました。ぜひ読んで確かめていただきたいです。

瀬尾さんの世界の見方は信用できる

瀬尾さんの小説のこと、まだ二作しか知らない奴が偉そうに言うのもなんなのですが、ハートフルで好きです。読み終わると、世界がすこし優しく見えるような。そんな物の見方を分けてもらえる感じがするんですよね。

だからでしょうか、瀬尾さんの「世界の見方」は信用できるなと思えます。この人の言うことは、信じていいんだと思えます。壺をすすめられたらローン組んで買う自信があります。

そんな瀬尾さんのものの見方の中で、おっ、これはいいなあ、と特に唸らされたものが二つあるので紹介させてください。

ひとつは「本を書くひとの気持ち」です。小説家の男に言わせたセリフです。引用すると、

大学生になる時間はたくさんあり、好きなだけ本を読めた。すると、次第に読むだけでは飽き足らなくなった。もっと違った雰囲気の本が読みたい、もっと自分に近い登場人物がいたらいいのに。大学生で、平凡で、何もない生活を送っている主人公だったらどんなストーリーができあがるだろう。(中略)自分の根底にあるうすぼんやりとした感情や、漠然と周りに立ちはだかる世界や未来に言葉を当てはめていくうちに、生きる答えのようなものに触れられる気がした。(p.10)

これ、瀬尾さん自身の感情なんじゃないかな、って思うんです。瀬尾さんに小説を書きたいという衝動が芽生えたときの心の動きを、そのまま言わせたんじゃないかな。きっとそうに違いありません。

だとすると、小説を書くのって、ブログを書くことに似ているなあ、と感じます。日々のくらしの中で直面するうすぼんやりとした感情。はっきりと見えないけれど立ちはだかっていることだけは分かる世界や未来。そうしたものに言葉を当てはめて整理するのがブログかなあと思うので、まんま小説と同じなのですね。

私がブログを書いて心を救われるように、瀬尾さんは小説を書いて心を救う(生きる答えに触れると表現されていますが)のだということがヒシヒシと感じられて、共感しました。

もうひとつは「親となることの悦び」です。智の母のセリフです。引用すると、

「そう。すごいよ。智が生まれて、自由が消え去って、仕事とか趣味とか今まで手にしていたものはほとんどなくなった。でも、子どもといることでしか味わえない、心の奥底からにじみ出るようないとおしさって、何にも代えられないんだよね。智がいれば何でもできそうな気がして、他に何もいらない気がした。」(p.216)

照れ隠しで「気がしただけなんだけどね」と結ぶこのセリフ。まさにその通りだと思いました。ピタッと言葉ではあらわせないけれど、にじみでてくるような愛おしさ、ってありますよね。愛って言えば単純すぎて、もっと奥深いものだと思うのですが、でもカテゴライズすれば愛のようなもの。それを感じられるのが、子育てで一番いいことだと、瀬尾さんが言っているように感じました。

一個だけ物申したいこと

小説家の男が「お前の最高傑作は息子だな」と言われるシーンがあります。おそらく男はジーンと来ていると思うのですが、ちょっと待て、です。それは違うぞと。「奥さんの最高傑作が息子」なのであって「お前は育ててないやんけ。今さら父親づらすな」と言ってやりたいです。

お前の最高傑作にしたいなら、これから先、妻にも息子にも、たくさん優しくしてやらなきゃだめです。父親たりえるだけの時間が足りていません。「傑作(と呼んでいいの)はまだ」ですよ。

まとめ

ダメ親父に健気な息子をぶつけると、65℃くらいのちょうどいいハートウォーミングな物語になる、ということを教えてくれた小説でした。子どもとの時間をもっと増やしたくなりますし、これから先、子どもから教えてもらうことが多いんだろうなあ、と予感させる作品でもありました。

とてもお勧めなのですが、深夜に読むと無性にからあげクンを食べたくなるので、ダイエット中の方はご注意ください。

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