三等賞の幸せ

「ナンバーワンにならなくてもいい」と歌ったアイドルグループがいた。

一等賞じゃなくてもいい、オンリーワンになればそれでいい、という優しいメッセージは、競争社会に疲れた国民の胸に響き、大ヒットソングとなった。当時、小学生ながら「いい歌詞だなあ」と口ずさんだのを覚えている(そんなこと言ってるけど、あんたたちナンバーワンのアイドルじゃん、ずるくない?とも思った)。

あれからもう22年が経つ。いまだに路傍の花を見ると、チャーラララー、というイントロが鮮やかに浮かぶ。「結局、ナンバーワンになれなかったなあ」などと溜息をつき、踏んづけられても健気に咲くタンポポに自分を重ねたりする。私もおじさんになったものである。

おじさんになると、こんなことも考える。「いやいや、オンリーワンになるのだって、充分むずかしいっすよ」おじさんは現実を知っているのだ。オンリーワン、すなわち、ニッチトップになることが、どれだけ凄いことかを、なんども目の当たりにしてきた。

ナンバーワンにも、オンリーワンにもなれないのだとしたら、どうしたらいいのだろう。承認欲求が満たされない人は、幸せになれないのだろうか。おじさんは答えを持たない。だが四歳児は『答え』を知っている。

昨日、びっくりしたことがあった。

家電量販店の棚に陳列されたドライヤーを指して、母が言った。「これはどうかしら。風が強そうじゃない?」値札を見ると一万五千円と書いてある。隣のドライヤーは三万円。それに比べると安く感じた。

家のドライヤーがウンとも言わなくなったのが昨夜のこと。とりあえず熱風さえ出てくれれば文句のない私は「それでいいんじゃない」と答えた。「じゃあこれにする」と母。昔から買い物で悩むところを見たところがない。

「見て!見て!」息子にTシャツの後ろ裾を掴まれた。どうしたの、と振り向くと「これ!」と抽選所を指差している。

「二千円以上のご購入で参加いただけます」と係の男が言った。

なにかのキャンペーンらしい。やや白みがかった木製のガラポン抽選機。ぐるっと手回しすると球が出るやつ。息子はこのガラポンに惹かれたようだ。テーブルには一等から四等までの景品が並んでいた。

「ねえ、どれ当てたい?」息子に尋ねた。
「これ」と息子が指差したのはドーナツの箱だった。三等だ。
「三等でいいの?」
「うん。ドーナツがいい」

一等と二等は食料品のお中元セットのようなものだった。四、五千円はするだろう。一等当たれ、と願う私をよそに息子は、三百円くらいの、チープなドーナツの箱に夢中だった。

一万五千円のドライヤーを購入した私たちは、二回分の抽選券を手に入れた。まあ当たらないだろうが、思い出作りにはなるだろう。息子の手を引いて抽選所に舞い戻る。

カラカラ、コロ。白い球が転がる。外れだ。
カラカラ、コロ。青い球が出た。おや、これは…。

「おめでとうございます、三等です!」

なんとドーナツが当たった。「ぼく、ドーナツあてたー!」息子の喜びようったら、尋常では無かった。ドーナツの箱を抱えてホクホク顔だ。「ぼくが当てたー!」何度も叫んでいる。私も嬉しくなった。これ以上の幸せがあるだろうか。

「甘いお菓子を食べれたら幸せ」息子にあるのはコレだけだ。単純。ゆえに強い。価値基準がシンプルで具体的。だからこそ、些細な幸運をありがたく感じるのだろう。ドーナツ箱ひとつで舞い上がれる息子は、世界で一番ハッピーに近い存在だと思えた。

きっと大人も同じだ。ナンバーワンとか、オンリーワンとか、実態のありそうでないものを追いかけると、幸せを見失う。甘いお菓子が食べられる。読みたい本が読める。そんなふうに具体的な欲求を一つだけ設定すれば、いくらでも幸せを感じられる。三等賞が最高賞になる。息子にそう教えてもらった。

ちなみに、母は前日にドライヤーをネット注文していたらしい。それを忘れて「買わなきゃ!」と思い立ち、一万五千円のドライヤーを買ったのだった(母の物忘れが最近ひどくて心配になる)。抽選で当たって得したと思ったドーナツは、実質一万五千円する高級ドーナツとなった。

というわけで、今後はドライヤー二刀流だ。大谷翔平さんのように、多少の金銭の損は、気にしないスタイルでやっていきたい。

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