なんで「ぴーぴー」言ってるの?

「ぴーぴーぴー、といー、といー」

お散歩をしていると、娘が隣でつぶやいているのが聞こえてきた。もうすぐ二歳になる娘は、可愛らしい声で、よく喋る。ぴーぴー、といー。はて、どういう意味だろうか。

娘の考えることが気になる。お散歩する娘を観察するのはおもしろい。二歳児の娘と、三十三歳児の私とでは、世界の見え方がまったく違うことに驚かされる。

大人の私は、もっぱら安全のことばかりを考えている。前から車がこていないか。後ろはどうか。自転車はいないか。地面の穴ぽこにすら目を光らせる。

穴ぽこの下にはドブが流れている。ドブの上を歩くとアレルギーになりやすいと聞く。考えすぎだと思うが、いちおう避けて通らせたくなる。

この可愛い生き物を守りたい。父性が毛穴から溢れ出す。危険はないか。心配はつきない。景色を楽しむ余裕は、あんまりない。

一方、娘はパパの心配なんかそっちのけで、真新しい世界に夢中だ。

救急車の音が聞こえると「ぴぽぴぽ」。大きめの石があると「いしー!」。犬の糞を捨てないでくださいのイラストを見て「わんわん!」。覚えたての言葉を使って、世界を言語化する。

そんな娘の言語化練習を見るのは楽しい。「こんな言葉まで憶えて…。成長しているなあ」と思うと、胸にグッとくるものがある。

きっと保育園で習っているのだろう。私が教えていない言葉をたくさん話す。新しいワードが次々に飛び出す。舌足らずなのがまた可愛い。

舌たらずなだけに、推理を要するときもしばしばだ。「といー」これは何だろうか。「ぴーぴーぴー」「といー」うーん。分からない。ずっと同じことを繰り返している。耳を澄ませてみる。

チュンチュン。「ぴーぴーぴー、といー」
チュンチュン。「ぴーぴーぴー、といー」

あっ、分かった。「とい」は、鳥のことだ。スズメさんが鳴くと、娘が「ぴーぴーぴー」とアンサーしている。そうか、ずっとスズメさんとお話してたのか。愛おしすぎないだろうか、この子。

「ふわっふわっ」娘が道路を見て言う。これはなんだろう。なにがふわふわだったのだろう。結局分からなくてモヤモヤするパターンもある。

「ぶーぶー」これは車だな。「ばす!」惜しい。それはワゴン車だ。「かーかー」これはカラス。スズメとカラスはちゃんと識別しているらしい。

車が近づいてきた。私はギュッと娘の手をにぎる。ふわっふわの柔らかいお手手の感触が伝わってくる。やわらけぇ〜。頬が緩む。「ぶーぶー!」と娘は喜んでいる。

なんてしあわせなお散歩デートなのだろう。なんの用事にも追い立てられない豊かな時間が流れる。私の人生ノートに、かけがえのない1ページが刻み込まれていくのが分かる。

さきほどまで家でイヤイヤされているときは「勘弁して〜」と思っていたのに(笑)すでに今日という一日に付箋を貼りたくなっている。

それもこれも「お散歩」のおかげだ。

子どもは外に連れて行くに限る。家にいるとパパに向けられる娘の意識が、外界に向けられるだけでホッとする。私が頑張って楽しませようとしなくても、自然が娘を楽しませてくれる。肩の荷が降りるのを感じる。

自由に外に出られる悦びを感じるたび、コロナ禍の子育ての大変さに思いを馳せたくなる。うちは妻がもっぱら子どもの面倒を見てくれたので、妻の苦労を想像する。

実際に聞いてみたこともある。「子ども連れて外に出るっていいもんだね」と妻に話すと「そうだよー!コロナのときなんて大変。雨の日でも外に連れていったんだよ」と言っていた。そうでもしないとやっていけないくらいの閉塞感だったのだ。もっと支えてあげられていれば、と反省をする。

お散歩は忙しい。周りを注意したり、娘の声を聞いたり、推理をしたり、昔を思い出したり、反省をしたり。忙しくて、とても楽しい。

親になって初めて気づくことのなんと多いことか。繰り返す。お散歩はとても楽しい。(ただし、体力、気力、時間に余裕があり、気温が高すぎず、低すぎず、子どもの体調が良く、お腹が空いていないときに限る)

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