ゾーンの入らせ方

ハンマーで頭を殴られたかと思った。

それくらい衝撃を受けたのが『ゾーンの入り方』という新書だった。社会人一年目の私は、本書を手に取り、胸をときめせた。

当時の私は「ビジネスで突き抜けたい!」という、新社会人にありがちな漠然とした野望を抱いていた。そういうヤツに限って具体的な道筋を描いていないので、ゾーンなどという超能力じみたパワーにすがろうとする。

ゾーンの入り方。すごいタイトルだ。トップアスリートなどの選ばれし人間が、集中力を研ぎ澄ますことによって、潜在能力を引き出し、高いパフォーマンスを発揮できる精神状態が「ゾーン」。そのゾーンに、誰でも簡単に入れるのだという。ちょっと胡散臭いが、中身は本物である。

ゾーンへの入り方は、ずばり「本気を出す」こと。「は?」と声が出そうなくらいシンプルなのだが、この言葉を嚙みしめるたび、そうとしか表現できないなと思う。ひたすら本気を出す。スーパーウルトラハイパー超絶本気を出すと、ゾーンに入れる。

たとえば、ドアを閉める動作。この単純な動作だけでも、ゾーンに入れる。

「よしっ!集中だ!」と気合を入れて、ばたんとドアを閉めてみよう。きっとゾーンに入れなくて「あれっ?」となるはずだ。多くの人がゾーンに入ろうとして「集中するぞ!」と考えるが、それは間違いである。

集中しようとするのではなく、本気を出そうとしてみよう。

具体的には、腰を落とし、つま先から髪の一本にわたるまで、全神経を張り巡らせ、すべての筋繊維に力を籠め、腕を振りかぶり、歌舞伎の見栄のような姿勢から、正拳突きの要領で「ぬああああああ!」と吠えながらドアを閉めると、ゾーンに入れる。スマブラのガノンドロフを想像すると分かりやすいだろう。

全身全霊の先にゾーンがある。

『ゾーンの入り方』の著者・室伏広治さんは言う。集中状態というものは、集中しようと思って入るものではない。本気を出しているうちに、自然と入るものなのだ。

この考え方に触れた瞬間「ああ、難しいこと考えないで、がむしゃらに本気出せばいいだけなんだ」と思った、ゾーンという概念がスッと腹に落ちた。それはハンマーで頭を殴られるような衝撃でもあった。ハンマー投げ選手の言葉はハンマーくらい重いのだ。

子育てをすると、ゾーンへの理解はさらに深まる。

子どもって本当にすごい。ちょっとしたきっかけを与えるだけで、すぐに本気になって、ゾーンに入れてしまう。メンタリティが室伏さんと一緒。室伏幼児だ。先日、感心する出来事があった。

その日、私は居間でゴロゴロしていた。一歳の娘が目の前を横切った。手には水性ペンと紙を持っている。お絵描きでもするのだろう。うわ~、めんどくせえ。畳とか机に書いちゃうかもじゃん。ずっと見てないといけないやつじゃん。

なんか別の遊びで釣れないかな。目についたのはピタゴラスだった。磁石でくっつくタイプの積み木のおもちゃだ。「あっ、こんなのどうかな」と思いつき、筒状のピタゴラスの中にペンを入れて、娘に見せた、「みてみて~、ペン立て~」娘は目を輝かせた。

「パパすげぇ!天才じゃん!その手があったか!」と言わんばかりの、目の輝きだった。すぐさま娘は私の手からペン立て的なものをぶんどると、手に持っているペンを一本ずつ筒の中に入れ始めた。私は娘の観察を始めた。

んっ、・・・んふー。んっ、んっ、・・・んふー。娘の息遣いから本気度が伝わってくる。一歳児にとって、筒の中にペンを入れるのは適度に難しい課題らしい。「んっ」と呼吸を止めてペンを入れる。動作を安定させようとしているのだ。ペンが入ると「んふー」と息を吐いている。

ペンと筒以外、何も眼中にない。完全にゾーンに入っている。ゾーンに入るまで十秒も掛からなかった。あまりにも自然なゾーンの入り方に、感動してしまった。

こういうとき「しゅごい!しゅごい!」と抱きつきたくなる。実際、長男が一歳くらいのころは「しゅごいね~!」と抱きついていた。あるとき妻にやんわり忠告されてハッとした。良かれと思って褒めたつもりが、ゾーンを破壊する馬鹿親になってしまっていた。

子供が集中しているときは声をかけてはいけない。これは現代の子育て界隈では定説らしい。むやみに声をかけると、自主性が育ちにくいのだと、さまざまな育児本に書かれていた。

娘のペン立て練習を眺めていると、私の未熟な子育てが思い返される。反省の念が湧く。もうむやみにゾーンは壊すまい。これからはゾーンに入る機会を増やしてあげたい。「ペン立て」みたいなアイデアをポンと与えて、たくさんゾーンに入れてあげるのだ。この小さな室伏を、私は育てあげるぞ!

そこに母が現れた。こんなことを言い出した。

「ねえ、聞いて。〇〇ちゃん(←娘の名前)、保育園で同じクラスのお友達の名前を言えるようになったんだって。先生がすごいほめてたのよ~。ほら!〇〇ちゃん!お友達のお名前いってごらん!〇〇ちゃん!ねえ!」

やめろおおおおおおおお!

ゾーンがあああああああああ!せっかく私がつくったゾーンがああああああ!壊れるじゃないかああああああああ!話しかけるなあああああああああ!

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