馬場錬成さん著「大村智 2億人を病魔から守った科学者」の感想

科学ジャーナリストの馬場錬成さんが書かれた伝記「大村智2億人を病魔から守った科学者」を読みました。

はじめに

直木賞作家の石田衣良さんが言ったとされる言葉に「ひとつのジャンルあたり1000冊読みなさい」というものがあります。これは小説家を目指す人に向けたメッセージなのですが、次のようなことを意図しておっしゃったそうです。

ホラーで1000冊、ミステリーで1000冊、恋愛で1000冊、といったように読んでいくと、心から感動するものに20冊ずつくらい出会える。それが小説家としての「核」になる。「核」を持っていない人の書く物語は、膨大な小説を読んできた編集者からみれば「これはあの作品のパターンだな」と見抜かれて、落とされてしまうのだ。

石田さんはあくまで”小説家になるため”に必要な努力として、”小説をジャンル分けして1000冊ずつ読む”という方法を提案されているのですが、私はこの「1ジャンル1000冊」というキラーワードが妙に頭に残っており、ときどき拡大解釈してしまいます。

つまり、どういうことかというと、小説に限らず、科学読み物で1000冊、エッセイで1000冊、伝記で1000冊、のように、書籍という大きな枠のジャンルを1000冊ずつ読んでいくことで、人間としての「核」が作られ、「あ、この人ちょっと違うな」と思ってもらえるのではないか、と考えるようになったのです。

そういう目線を持って本屋さんに立ち寄ると、「あっ、この科学ジャンルの棚、全然読んでないじゃん、ダメじゃん」という気持ちになります。ノーベル賞級の科学者がやったことくらいは網羅しておきたいなと思い、本書を手に取りました。

概要

寄生虫によく効く化学物質「イベルメクチン」を発見したことで、オンコセルカ症(寄生虫の一種である線虫を原因とした病気。失明に至る)という病魔から2億人以上を守った化学者・大村智さんの伝記。大村さんは2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞している。ベテラン科学ジャーナリストの著者が、大村さんを丹念に取材し、生い立ちから受賞に至るまでを客観的に詳しくまとめた本。

馬場錬成著「大村智 2億人を病魔から守った科学者」中央公論社(2012年).

感想

人と同じことをやっていては勝てない

大村さんは大学時代にスキーにのめり込んでいたそうですが、そのときの恩師に言われて大事にしている言葉が「人と同じことをやっていては勝てない」だそうです。この考え方をもっていたからこそ、メルク社との共同研究テーマを発案するときに、「人じゃなくて動物相手の薬を創ろう」という発想にいたったのだと説明されています。

やっべ~。私、人と同じことをやっているわ~、と反省しました。当たり前のことですが、人と違うことをしなければ、競争には勝てないですよね。

研究という面で、大村さんがいつごろから人と違うことをやって勝ってきたのだろうか、とながめてみると、ルーツは北里研究所に来たばかりのときに、NMR(核磁気共鳴)で有数のスペシャリストだったところにあるなと思いました。抗生物質のロイコマイシンの構造決定のためにNMRをやられていたそうですが、北里研究所でNMRを確実に読めるのは大村さんただ一人。教授たちから頼られたそうです。

大村さんがNMRを熱心にやったのは東京理科大学大学院時代に、糖の立体構造の分析をしていたときのことでした。NMRという装置が日本に数台しかなく、さらに大村さんは徹夜で研究に没頭するタイプだったので、NMRに関して言えば日本で指折りの人材になったのでした。はからずとも「人と同じことをしていない」研究者になれて、このスキルをきっかけに勝っていけたのですね。

NMRは非常に強力で、今や化学や医療の標準ツールとなっていますから、黎明期にスペシャリストになれた大村さんは非常に筋のよい仕事をされたのです。世に出始めた最新式の装置に没頭するのは、研究者としてリスクもありますが、「人と同じことをしていては勝てない精神」でやってみるのが大事だなだな、と胸に刻みました。

ちなみに、大村さんの少年時代のエピソードで、初恋の相手に「阿修羅の写真」をプレゼントしてフラれたというものがあります。大村さんほどの方でも可愛らしい失敗をするんだとホッとできて私は大好きなのですが、よく考えるとこれ、「人と違うことをして負けた」事例なんですよね(笑) ここでめげずに人と違うことをし続けた大村さんのメンタルはあっぱれでした。

人と人の交流で得られるものほど大きくて大事なことはない

語弊を恐れずに言うと、大村さんは「ウルトラ超ラッキーな人だった」と思いました。これが大村さんの研究人生をながめて感じた素直な感想でした。めちゃくちゃ人運がいい。羨ましいです。

ノーベル賞を獲るような人は、もちろん思考力も行動力も並外れていて、努力量も半端ではないのですが、そこから先にもう一歩突き抜ける要素として、「圧倒的な運を持っている」ことが挙げられると思います。運を引き寄せる力と言っていいかもしれません。

いちばん「運がいいな」と感じたのは、大村さんがアメリカに留学したときにティシュラー教授に出会ったことです。

ティシュラー教授は、メルク社(のちに大村さんが共同研究をすることになる)の元研究所所長であり、なおかつ科学者として高い業績のある方でした。そのためティシュラー教授のもとにはノーベル賞クラスの研究者の訪問が絶えず、しかもティシュラー教授はその面々に「日本から来てくれた」と大村さんを紹介するので、顔が繋がれていきます。

大村さんが発見していた微生物由来の化学物質が、さまざまな研究者や企業人との出会いによって、有用性が解明されたり、別の研究へと発展したりしていきます。人と人を介して、研究が広がっていくのです。「研究者」というと無機質に聞こえますが、その実は、恵まれた人運をつかみ取り、そこから先の対人交流を大切にする気持ちがあってこそなのだと思いました。

もし私が大村さん級の運を持っていたとしても「なんだこのシャイな日本人は。ダメじゃん」「ぜんぜん研究力ないじゃん」と見放されることは請け合いなので、運はあくまでも成功の一要素であって絶対的なものではないことを付け加えたいですが、それでも「運が強い」「人との交流が大事」というのは、強く実感させられました。

産学連携の代表的成功例

私のような企業勤めの研究者から見ると、大村さんがもたらした「特許ロイヤリティ収入」には注目せざるを得ません。「いや、科学の発展とかじゃなくて、結局はお金かい」と思われてしまうかもしれませんが、研究活動はお金で決まると言っていいくらい大切なものです。しかも「特許ロイヤリティ」という点がすごいのです。

大村さんの特許ロイヤリティ収入の総額は250億円と言われています。ある時期はメルク社から年間16億円の特許収入を得ていたそうです(イベルメクチンの無償配布がなければもっと多かったかも)。16億円という金額もすごいですが、これが純利益というのが恐ろしい。

利益率が10%の優良企業が16億円の純利益を出そうとすると、160億円の売り上げが要ります。利益率が3%の厳しめの企業だと500億円以上の売り上げが必要となる規模です。それを「大村研究室」という一つのグループで稼ぎ出せてしまっているのが、どれほど異常なことか。利益だけを吸える特許ロイヤリティの凄みを感じます。

この莫大な特許ロイヤリティは、別に降ってわいたものではなく、さまざまな偶然と慧眼によるものであることが、本書を読むと分かります。獲得の背景には、大村さんがアメリカ留学した際に懇意になったティシュラー教授が元メルク社研究所所長だったこと、「大村方式」というWin-Winな共同研究の枠組みを考案してメルク社に持ちかけたこと、特許使用料の売り切りを断固拒否したことがあったそうです。「真水の純水」たる特許ロイヤリティを得るのは簡単ではありません。

大村さんが海外の大企業から莫大な特許ロイヤリティを受け、そのお金を北里研究所の運営や、北里病院の設立などに活用した一連の取り組みは、日本初(そして世界的にみても少数しかない)レベルの「産学連携の成功例」なのだそうです。

「産」側のイチ研究者として、大学の叡智をどうやってお借りすればうまくいくのか、というのは重要な関心でした。大村さんはあまりにも上手く行き過ぎていて「これは真似できそう!」とはやすやす思えないのですが、それでも、お知り合いになる方の中に「未来の大村さん」がいるかもしれないと思うと、学術界に積極的に足を運ばねばという気持ちにさせてくれますね。

エッセイストとしての大村智さん

本書の巻末に、大村さんの書かれたエッセイ(自費出版)の記述がありました。「ロードデンドロンの咲く街」「私の芝白金三光町」「夕暮れ」「植林」の四作を書かれているそうです。馬場さんによると、大村さんはエッセイストとしても素晴らしいとのことで、エッセイ好きな私としては気になってしまいました。

調べてみると、自費出版の四作の中から特に傑作だったものを集めて「人間の旬」というエッセイ集が毎日新聞出版から発売されていました。購入し、読み始めています。めちゃくちゃ面白いです。馬場錬成さんの書かれた客観的な伝記もいいのですが、大村さん本人の息遣いが聞こえてくるエッセイ「人間の旬」も味わい深いなと思ったので、読み終わったレビューします。

おわりに

大村智さんの伝記を読みました。大村さんは科学者が備えておくべき「当たり前のこと」をすべて着実に実行している、すばらしい方でした。大村さんほどの方に「人と同じことをしていては勝てない」とストレートに言われると、すみません!頑張ります!と気持ちが引き締まります。

それでいて、大村さんは強大な運の持ち主であったことも、本書を読んで分かりました。特にアメリカ留学時代の人運と、そこから人と人との交流を広げていく様子は、ドラマティックであり、研究者は「無機質」であってはならないなと思いました。お金の流れも勉強になりました。

大村さんは若くして成功され、その後も飛び級の勢いで研究成果を積まれています。いわゆるプロジェクトX的な挫折はほとんどない(あったのかもしれないですが詳細には語られない)ので、ドラマ的要素は少なめです。が、ノーベル賞ともなると、躓く暇もないくらいガンガン成功しないと獲得できないものなのでしょう。変に失敗感を出してくる曲色がないのがかえってリアリティを生み出し、納得感ある読み応えでした。

大村さんの研究姿勢と業績がコンパクトにまとまっていた良書だったと思います。この感想文では触れませんでしたが、生物学や医学的な内容にもしっかり踏み込んでいて、著者の学術的理解度の深さにため息が漏れました。普通に学術書として読めて勉強になります。おすすめです。

本書を読んで、大村さんの人柄に興味がわき、もっと知りたくなったので、次はエッセイを読もうと思います。

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