記憶が無くなるほど充実した一日

ブログを書くのは夜ときめている。子どもが寝静まってから書いている。ブログを書くのは、私にとって良いリフレッシュだ。誰にも邪魔されない夜に、ゆっくりと文章を書くのは、なんとも気持ちがいい。頭が整理されて、スッキリする。

ところが、昨日はまったくブログを書く気が起きなかった。息子を寝かしつけたところで力尽きた。「やっと寝たか、ああ今日はまだブログ書いてないや」と思ったのだけど、まぶたがSASUKE第二ステージのゲートくらい重くて、そのまま夢の世界に旅立った。

どうしてかというと、昨日はとても充実した一日だったから。子どもと遊びまくったのだ。あたらしいチャレンジもたくさんあった。だから、カラダも頭もくたびれてしまって、ブログを書く元気が残っていなかった。

子育ては皮肉だ。充実するほど、疲れてしまって記録する気がおきない。記録しようと思っても「あれ、今日なにやったんだっけ?」と忘れてしまっている。

又吉さんの言葉を借りれば「古い思い出が必要ないくらい、楽しい出来事で記憶を上書きしている」のだろう。すっかり忘れてしまっている楽しい思い出のなんと多いことか。残酷である。

だから今回は、昨日一日を振りかえってみようと思う。エッセイじゃなくてただの日記になってしまうけれど、たまにはいいだろう。「私という人間は、これくらい楽しいことを詰め込むと、疲れ切って記憶を失う」というデータとして記録しておく。

ちなみに、ここから書くことは、昨日の私がスマホにメモした断片から頭を絞って思い出したものだ。頭を絞らなければ忘却のかなたに消えてしまっていたであろう、貴重なメモリーである。

パパの嫌いな人

なんていやな質問をするんだろうと思ったのは、息子から言われた「パパ?パパが嫌いな人おしえて」である。いや、そりゃ人間だからさ、嫌いな人はたくさん居るけど、子どもの手前、具体的な名前を挙げるわけにはいかないじゃない。どう答えたものか。

「えー、嫌いな人かー、んー」

時間稼ぎしながら考える。「嫌いな人なんていないよ」と言ってしまえば楽なんだろうけど、些細なことでも嘘をつくのはイヤだ。嘘をつく人が嫌いだ。あっ、そうか。何も具体的な名前を言う必要なんてないんだ。概念的に答えればすむ話じゃないか。

「パパはね、赤信号を渡る人が嫌いだよ」

これは我ながらいい回答をしたと思った。「なにそれー!悪い人じゃーん!」と息子が叫ぶのを見て、よし、伝わったと確信する。

そうだよ、パパはね、道徳的に駄目な人とか、社会のルールが守れない人がイヤなんだよ。だから、きみも守れる人になろうね、というメッセージを確かに受け取ってくれたはずだ。そう思っていた。

「それ救急車の人やん。パパ、救急車の人が嫌いなんやね」

なっ。そうくるか。この子、なんて機転が利くんだろう。人命救助する尊い人達を嫌いだなんて、パパの方が悪者になっちゃったよ。くそう。

誰のいびき?

息子(四歳♂)が、布団にもぐって寝る真似をしている。ふつうなら「ぐー、ぐー」と言うところを、「ぐわー!ぐわー!」と言っていたので、霜降り明星の粗品さん風にツッコんでみた。

「鬼のいびき!」

右掌を前に突き出してドヤ顔で決めた。けれど息子に「そうなん?」と真顔で返されて、恥ずかしくなった。

しゃしゃぶ

うちの実家の庭には、「しゃしゃぶ」という木がはえている。正式名称は秋茱萸(アキグミ)。しゃしゃぶというのは方言らしい。十年ほど前、母が物産市で苗を買ってきて植えたというその低木は、私の背丈を越えるほどに成長し、赤い実をつけるようになった。見た目はサクランボだ。

手の届くところにサクランボ風の実があるというのは、幼児からすれば宝石が並んでいるようなものである。母に連れられた子たち(四歳♂と一歳♀)は、赤い実を目にして大喜び。「しゃしゃぶ」「しゃしゃう」と言いながら、実をもいでビニール袋に詰めているのが、とても可愛い。

サラッと水で洗って、ボールに盛る。山盛りの赤いしゃしゃぶが今朝のおやつだ。ひとつ口に入れてみる。甘味があって、サクランボに近い食感がする。ほんのりとした渋みがある。「この渋みがあるから、毛虫がわかないのよ」と母がいう。母が幼少のころは良く食べられていたらしい。

そんな昔ながらのおやつを、子どもたちはモリモリ食べた。娘の食べるスピードなんて半端ではなかった。吸い込んでる。絶対噛んでないだろう。「こんなに食べてだいじょうぶなの?種ごといってるけど。お腹で詰まったりしない?」と心配する私をよそに、母と父は楽観的であった。

「食べられて、種がうんちになって運ばれる。そういうふうに自然はできてるから、大丈夫なんだよ」と説得された。

いやいや、うちの娘を鳥と一緒にせんといてください。それに、一個や二個ならその理屈は分かるけど、今見てたら十個以上食べさせてたよね?ほんとうに大丈夫?

※今朝、大量の種入りうんちが出て、ほっとしました。

洗車

天気がいい日は、洗車がしたくなる。

「車に水鉄砲当て大会する人!出ておいで!」と私が提案をすると、息子は「するっ!大会するっ!」と乗り気になった。私の口角がニヤリと上がる。うまく外に連れ出せた。こんなふうにゲーム風に誘うと簡単に釣れるのだから、四歳児はチョロいものだ。

お風呂場に行き、水鉄砲を入手する。百均ショップで五百円払って買った大型水鉄砲である。一リットルは水が入ろうかという自動車型のタンクがあり、それに全長三十センチの大型の銃が繋がっている。これを息子に持たせて、車に向かう。

「好きに水かけていいからね」
「やったー!」

息子は、車に水鉄砲をかけまくる。「キャー!」ゾンビでも撃っているのではないかと錯覚するくらい叫んでいる。「ここだ!」「ここ!まだ水かけてない!」みたいなことを言いながら、隈なく洗ってくれる。そうとう嬉しいようだ。

水が掛かったところを雑巾で拭いて完成。簡単だけど、これだけでピカピカになる。車って、表面にうっすら埃がつくだけで、格段にダサくなるから不思議なものだ。光沢するマイカーを前にして、私とゾンビバスターの息子は、にったりするのであった。

ショートショート作り

先日、ショートショート作家の田丸雅智さんが書いた「たった40分で誰でも必ず小説が書ける超ショートショート講座」を読んで刺激を受けた。創作初心者の私でも、ショートショートが一本書けてしまったのだから驚きだ。

感心したのは、ワークシート形式になっていることだ。本来なら「小説を書きましょう」と言われるだけで、想像力を問われているように思われ、高いハードルを感じてしまう。ところが本書は、田丸さんが用意したシートを埋めていくだけで、機械的に小説が書けてしまう。ハードルが劇的に低いのだ。

「これなら四歳児でもお話が作れてしまうのではないか」と思った。思ったらやってしまいたくなる性分だ。息子を相手に、田丸メソッドを試してみた。

田丸メソッドでは、三つのステップを踏みながら、ショートショートの核となる「不思議な言葉」を創る。この三つのステップに分けたところが発明だと思う。詳細は省くが、うちの息子に試したところ、なんと四歳児からポンポン素敵なワードがとびだし、こんな不思議な言葉が生まれた。

・ふわーんって飛ぶ救急車
・子どもを食べる時計
・目が二つのチョコレート(足も生えてる)
・静かな消防車
・遠いところにいるオモチャの飴

おもしろい言葉だと思う。物語が湧き出てきそうな力があって、耳にするだけでドキドキする。こんなすてきな不思議な言葉に、一番びっくりしていたのは息子だった。すごくワクワクしてくれていて、父親として嬉しくなった。

「子どもを食べる時計」にテーマを定め、キャラクターデザインをした。ここでも息子の瑞々しいアイデアが飛び出してくる。

・手がある。手に口がついている。
・足もある。壁から自分で降りてくる。
・小学生くらいの大きさ。
・「いま何時何分ですよーって教えてくれる」
・朝7時になると「あさだよー」って起こしてくれる。
・夜8時を過ぎると、まだ寝てない子どもを食べる。

すごい。すごすぎる。目の前の息子が小説家の卵に見えてくる。さて、もうストーリーができそうなので、ここからは私が手伝いながら文章に起こすことにした。が、ここで大問題。というか、四歳児の限界。論理展開が無いのだ。

今日は8時に子どもを食べる。明日は10時に子供を食べる。次の日は12時。その次は3時。3時までいくと8時に戻る。というお話にしたいと息子が言う。

唐突な展開だ。それなりの理由がほしいところ。しかし「なんで毎日時間が違うの?」「どうして3時になったら戻るの?」と訊いても「そうなるの」としか返事がない。もう感覚の世界なのだ。私は憤慨した。

せっかくの良い設定が台無しになっていく。私のあたまの中に描かれた世界と、息子の世界があまりにも違いすぎる。しかも互いに一歩も譲らない。どうしようもなくなって、私たちは筆をおいた。「音楽性の違い」で解散するのってこんな気持ちなんだろうな。

とはいえ、田丸メソッドは凄い。途中までは抜群にうまくいった。きっと今日一日で彼の創造性は刺激されたことだろう。四歳児にも有効だと証明された。よい知育になるので、全国のパパママさん、よろしければお試しください。

初めてのターザンロープ

実は昨日、妻の体調が悪かった。それで、妻には休んでもらって、私が実家の両親と一緒に子供たちのお世話をしていたのだった。「二人見る」というのは、一人のときとは世界が違う。恥ずかしながら私一人では見られないので、両親に手伝ってもらった(自分のパパ力のなさを痛感する)。

ちなみに、妻は「二人見る」ことができる。ママ友と遊ぶときに二人の子どもを同時に連れて行って、一日自由時間をくれたりする。女神である。今回はその逆。私が二人見れないばっかりに、妻にはめったに自由時間をプレゼントできなくて申し訳ないばかりである。いつもありがとう。

で、家で二人同時に見ていたのだけど、公園につれていきたくなった。当然私ひとりで二人公園は無謀なので、母についてきてもらう。行った先は、車で三十分くらいしたところにある大型遊戯施設。私が子どもの頃からある、老舗の公園だ。

行って正解だった。私が小学生のころ、遠足でここを訪れて「ここは宇宙一楽しい場所だ!」と感動したのと同じように、四歳の息子も大興奮してくれていた。ローラー式の長いすべり台は、大人になって滑ってもスリリングで楽しい。

なにより良かったのがターザンロープだった。近所の公園にもターザンロープはあるが、紐が短めで、四歳児には厳しいものがある。その点、ここのターザンロープはすさまじく適切だった。昨日、息子の人生初のターザンロープを、私は目撃した。

ターザンロープは人気だ。常時五人くらい並んでいる。恥ずかしがり屋の息子は、初めてターザンロープに成功しても、照れてしまい、声を出したりしなかったけれど、心底嬉しいんだろうなというのが、私にはわかった。そういう表情をしていた。

五人も並んでいるから、待ち時間はけっこうなものなのだが、息子は何度も並んだ。何度も。何度も。初めて味わったターザンロープの爽快感をなぞるように、ぶら下がって、あ~ああ~、をした。

他の子どもたちは一人でひょいっとロープに捕まるが、息子はまだ一人でぶらさがれない。私が横でロープを支え、息子を抱えてしがみつかせてあげる。こんなに小さい子でターザンしてる子はいない。いつか落ちるんじゃないかとハラハラする。私の心配など知らぬ息子はニコニコである。

「お腹空いたー!」

そろそろ帰ろうか、と声をかけると、息子は潔く了承した。一日遊んで、お腹がペコペコだったらしい。こんなに楽しい公園で、後ろ髪ひかれることなく帰れるとは思ってなかった。それくらい大満足してくれたということか。連れてきてよかったな。

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