辻村深月さん著「図書館で暮らしたい」の感想

夜の九時半に外を出歩くと、こんな暗闇のなかでも犬の散歩をしている人がいることに驚く。それと同時に、自分の中に犬の散歩は朝か晩にするもの、という固定概念があったことに気づく。別に何時に散歩しようが構わないのに、それを見るまで、ちっとも気づかなかった。

そんなことがよくある。ここ最近で驚いたのは「小説って、私と同じ時代を生きている人間が書いているんだ」ということだ。そりゃあ誰かが書いているから本になるのだけれど、どこのどんな人間が、どんな体勢でキーボードを叩いているのか、ちゃんとイメージしたことがなかった。

辻村深月さんのエッセイ「図書館で暮らしたい」は、辻村さんがどこでどんな体勢をしながら小説を書いているか、映像が目に浮かぶような本だ。「ああ、このひとがこんな思いを乗せて書いたから、私は感動したのか」という気持ちにさせられる。

「ツナグ」に登場する、卵焼きでコーティングされた黄色いおむすび。おかあさんが特別な愛情をこめて作ったであろう、優しさの塊。文章で読むだけなのに、とっても美味しそうだなと思った。あれは、辻村さんのお母さんが実際に作っていたものらしい。ああ、それでか。辻村さんが体験したものだったから、おにぎりのリアリティが凄かったのかと納得する。

図書館で「なんだこのタイトルはっ!?」と目を引かれたのをよく覚えているのが「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」だ。読むと、母親を殺害してしまった幼馴染チエミを追うミステリーで、最後には、ああ、タイトルはこういう意味だったのか、と分かってスッキリした。この私の一連の行動は、辻村さんの狙い通り。読み終えたときに「このタイトルしかありえないと思ってもらえるのではないか」と考えてつけたらしい。さすがです。

この作品で、チエミは気遣いができる子なのにモテなくて、どうしようもない男に依存してしまう女性として描かれる。可哀想な子なのだが、そんなチエミにも、あと数年辛抱すればモテ期がきた可能性について、辻村さんは「図書館で暮らしたい」のなかで検討している。チエミには救いがあったのかもしれないと分かり、うれしくなった。

こんなふうに、「図書館で暮らしたい」には、辻村さんのご自身の作品について、どう感じていたかや、なにを意図して書いたのかが、告白されていて楽しい。

「図書館で暮らしたい」というエッセイそのものについても、初めてのエッセイということで、大変だなあと感じながら書かれているのがリアルに感じられる。子育ての合間に、キッチンに立ち、なんとスマホを使って書いたこともあったそうだ。驚いた。

育児のすきまを使って、スマホで書いていると分かると、ぐっと親近感がわく。私とおなじじゃないか、と不遜にも思ってしまう。子どもと遊びながら、私はおもしろいと感じた行動をスマホに入力し、夜、子どもがねたら散歩しながらスマホでブログの文章を練っている。私は今、直木賞作家と同じ気持ちを味わえているのかもしれない。

絵本作家のきむらゆういちさんと辻村さんのエピソードもよかった。私はきむらさんのファンだ。きむらさんの「ごあいさつあそび」を長男が気に入って、なんども読んだ。ピーちゃんの真似をする姿がたまらなくかわいかった。今ではボロボロになった「ごあいさつあそび」を下の子にも読んでいる。そのきむらさんが、あの有名作品の作者でもあったなんて。知らなかったなあ。

辻村さんの読書感想文がたらふく読めるのも「図書館で暮らしたい」の魅力のひとつだ。暗くなるまで、外で自転車のサドルに跨りながら小説を読み耽っていたという辻村さん。青春時代を本に捧げていた人だけあって、読書のエピソードが豊富で読み応えがある。それは、図書館のウォーリーをさがせに丸がついていた、みたいな些細な体験だったりする。些細なんだけど、体験したことって強い。どんな俯瞰的な書評よりもリアルな読書体験談のほうが引き込まれるし、読みたいと思わされるものなのだ。辻村さんの読書感想文を読んで、そう思った。

というわけで、今回読んだエッセイ「図書館で暮らしたい」の感想は、私が読みながら思ったことを、「これが私の読書体験だ!」という気持ちで、ダラダラと書いてみた。まるで書評になってないけれど、そんな日があってもいいのかもしれない。だって、読みながら素直に感じたことだもの。「ああ、読んだらこんな気持ちになるのね」と察してもらえると嬉しいです。

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