子育てに向いている人、向いていない人

月に二回のペースで心療内科に通っている。

カウンセラーの先生と机を挟んで向い合わせになり、悩みを聴いてもらう。先生は何でも肯定的に受け入れてくれるので、するすると言葉を引き出されてしまう。

「自分、子育てに向いてないなって、落ち込むことがあったんです」心療内科を訪れるたび、私は小さなカミングアウトをする。今回は、先日の同期飲み会についてだ。

2010年代半ばに入社した同期とは、めったに会うことがなくなった。飲み会なんて五年以上やってない。三年目くらいまでは遊ぶこともあったのに、コロナのせいで一気に疎遠になった。

けれど、こうして遠隔地に住んでいる私が、久々に開催される同期会に顔を出せるのは、コロナのおかげでオンライン飲み会が普及したからでもある。一歩下がって二歩進んだ感じがする。

パソコンの画面を見る。映し出されたタイル状の同期たち。懐かしい顔が並んでいる、と思ったら、ひとりだけKing Gnuみたいなヒゲを蓄えた、見覚えのない男がいた。誰だ?

「Sです。久しぶり」

知ってる同期だった。変貌しすぎだろう。最近見ないから転職したのかなと思ってたけど、まだ会社にいたのかい。こんだけ顔が変わればすれ違っても気づかないよ。

驚いたことは、King Gnuのヒゲ以外にもあった。それは、オンライン飲み会に子どもを連れて参加しているパパの多いことだ。

なかには、オンライン飲み会に参加しながら、ワンオペで二人世話するパパまでいた。離乳食を食べさせるかたわら、器用にパスタを茹でている。「パスタじゃないといやって言われたから、晩御飯作るの二回目だよ」彼は疲れた顔で笑う。すごいな。心から感心する。

同期の多くがパパになっていて、かつての私のように、都心のせまいマンションで夫婦ふたり、二人の子どもを育てている。核家族。親族のサポートがないのも私と同じだ。

私は逃げ場のない育児環境に耐えられなくなって、心を壊した。一方で彼らは「自分の時間はゼロやけど、まあなんとかやってるよ」と笑いながら、持ち堪えている。いったいなにが違うのだろう。

「同期のパパたちみてたら、育児向いてるんだろうなって思ったんです。そしたら、自分は育児に向いていないんだな、とハッキリ示された感じがして。落ち込んじゃいました」

私はカウンセラーさんにありのまま感じたことを伝えた。カウンセラーさんは軽くうなづき、私の目を見た。

「でも、すごく育児に向いているなと思う瞬間もあるんです。たとえば…」私は息をすっと吸い込む。「この間、ショートショートを作ったんです。四歳の息子と一緒に」

先日のブログ記事に書いたショートショート作りの話をカウンセラーさんに聴いてもらった。ショートショートを簡単に作れる田丸メソッドを本で読み、これって四歳児にもできるのではと思って試してみたエピソードだ。

田丸メソッドを私から伝授された息子は、「子どもを食べる時計」という不思議な言葉を生み出した。そこから二人で想像を膨らませていった。

「夜になっても寝ない子を食べちゃうの」「手が生えてて、手にお口がついてるんだ」「朝になったら起こしてくれるよね、時計だから」

息子と一緒に創り出すストーリー。物語の展開に想像を掻き立てられて心が踊るのもさることながら、幼い我が子のがこんなにもクリエイティブさを持っているということに、とてもわくわくした。すっごくいい知育になってる気がした。あ、今私めちゃくちゃ良いパパじゃん、と思えた。

「とてもいい時間を過ごされましたね。想像遊び、すごくいいと思います。息子さんは、お父さんとわくわくを共有できて、うれしかったでしょうね。情緒が育まれていますよ」カウンセラーさんは微笑む。

私はほっと息をつく。些細なことだけど、子育ての工夫を認めてもらえてうれしい。少し前向きになる。

矛盾するようだけれど、私のなかには、育児への苦手意識と、子育てをうまくできている実感が、同時に存在する。カウンセリングを受けると、そうした複雑な心の構造が見えてくる。

私は極端な人間だ。心に余裕がないと、絶望的に育児が下手になる。でも、心に余裕を持てると、クリエイティブさを発揮して、けっこういい線いってる育児ができる、と思ってる。

だから、私がよいパパであり続けるには、周りに頼りまくって、心にでっかい余裕をつくるしかない。「ごめん、ちょっと心に余裕ないから、育児タンマ!」と言って逃げるしかない。そんなやつ、父親失格だ。育児向いてない。そう思ってた。

「育児に向いているとか、向いていないとか、今の段階で決められるものではないと思いますよ」カウンセラーさんが優しく語りかけてくれる。少しずつ私の頭がクリアになっていく。

子どもが小さくて、命を守らなければいけないうちは、クリエイティブになれる場面は少ない。私はおそらくこの時期の子育てに適性がなく、親としての活躍を感じられず、うまくいかなくて、たくさん悩んできた。

しかし、親というものは、子供が生まれた瞬間に親になれる人ばかりではない。子どもと一緒に悩み、考えて、たくさん気づいて、だんだん親になっていくものだ。だから、今の私が親として完成されていなくても、向き不向きを判断することはない。

たしかにこれまでは、苦手なことが多かった。でも逃げなかった。子どもに関心を向け続けた。「子どものことを思い続けられるだけで、育児の素質がありますよ」とカウンセラーさんは言う。その言葉で、これまでの苦労が報われたような気持ちになる。

これからはもっと楽しいことが多いだろう。子どもと一緒にクリエイティブな遊びをすることなら、けっこう自信があるのだ。さきほどのショートショートみたいに、本で学んだ大人のテクニックを、子どもに試すのもどんどんやっていきたい。

そのためには、心の余裕がいる。妻や両親、友達にたくさん頼るだろう。迷惑をかけることが多々あるかもしれない。それはごめんなさい。そのかわり、子どもとたくさん創作します。ものづくりします。楽しい時間をたっぷり過ごします。いい思い出を残します。だから、許して。

これから先、誰か素敵なパパを見て、やっぱ私、子育てに向いていないかも、と弱気になることがあれば、今日の気持ちを思い出すことにしよう。

子どもと向き合ってる時点で、私は子育てに向いてる。それに、クリエイティブなことやらせたらすごいんだから、自信持っていい。きっと。

今日もいいカウンセリングだった。自立は依存先を増やすこと、と言った学者がいる。まさにそうだと思う。カウンセリングでも、親でも、頼れるものは頼ってしまっていい。それで心に余白を作れれば御の字なのだ。

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